『安城家の舞踏會』
没落華族の原節子が闇成金によって〇〇される団鬼六のような展開になるのかと思いきや、意外にもっ!儚くも気高いボレロが奏でられる作品である。吉村&新藤の作品であるから、それが至極当然なのである。滝沢修に表される哀しさと違い、アプレゲールを謳歌する戦後の明るい未来が原節子ら若い世代に表されるかと思いながら観ていたが、そうであるとばかりは言えないものが、最終盤の原と滝沢が踊るシーンに表される。未来への期待、というよりはやはり、哀しさが先に立つ。それがやはりこの作品の良さに思える。心が救われるヒューマニズムも戦後すぐの映画らしく、ある意味、ウィリアム・ワイラーにも通じるもの表される。吉村公三郎は夜の河や夜の蝶にも表されるように人間としての気高さを描く人だと思うが、そうした人間の尊厳がこの作品にも表されている。
『安城家の舞踏會』における新川の娘役はやはり津島恵子だったのか。おばあちゃんになってからの役にしかほとんど接してこなくて、『7人の侍』の時はネオレアリズモに出てくるようなワイルドをみせられ、そのギャップと美しさが印象に残ったが最近観た『ひめゆりの塔』の彼女は香川京子ともども美しく、『安城家の舞踏會』の顔がまん丸の津島も初々しくあった。原節子は小津での想定された動きに生まれる原は小津の原であり、その美意識のなかでの原には美しさ以外何も感じなかったが、『安城家の舞踏會』の原はモーションも心地よく、それが彼女の笑顔をとても美しく見させてくれ素敵だった。
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