mixiユーザー(id:2566286)

2020年04月25日23:02

95 view

縮図

『縮図』
  『裸の島』、ってか『人間』から作風がガラリと変化したのかな。でも、『人間』もメッセージ映画といえばメッセージ映画ともいえるのであるが。50年代の新藤兼人のテクストは、この『縮図』のように○○に訴える然としたメッセージ映画の観がある。そして、ヒューマニズム然としている。でも、特にラストの歩いている音羽信子のカット割りなどは『人間』以降の新藤のカラーが表されている。貧困や弱者、そして感傷性は、当時の日本のオーディエンスが求めていたものであろうし、かといって、そうした傾向に迎合するだけするのではなく、社会に精神を発するという信念をもって制作されたのであろう。ところで、このころは既に、世界ではクロサワとミゾグチのみならずナルセもまた世界的に発見されていたのかな。最初の桶屋のパート、絵的なもの幾つか、ミゾグチ的であり、ふたつめの桶屋のパート、雰囲気や流れがやるせなくナルセ的であり、三番目の桶屋のパート、そこにいるメンバーを紹介するシークエンス、なんとも東宝的にクロサワ式ドンチャカである。意識をして、というか、くすねているのかな。
  初盤の沢村貞子の力強さ、そして主人公銀子の先輩芸者の男性的なキスのリードの仕方、それらがエスタブリッシュするように、銀子の女の生き抜くヴァイタリティを先導する。女性の逞しさ、男にはできないものが在る。出会う男たちはいつも暴力的。優しい男も実はズルくて、そうであること、どんどんはっきりしてくる。山村聡の山田五十鈴に言う言葉でそれがはっきりする。必殺シリーズの山田の落ち着いて堂々としている姿しか知らなかったときに比すれば、クロサワやミゾグチ、或いはこの作品での彼女は欲張って意地張って、わめき散らして暴言を吐きまくり、は意外に見えるけれど、やはり山田のキャスト、そして菅井一郎など、或いは芸者の生き方、新藤兼人は師匠ミゾグチを意識してこの作品をやっているのかな。でも、その世界の女の生きざまを哀しくも艶やかに描くミゾグチに対すれば、いかにもなメッセージ映画然としているところはフィフティーズの邦画すぎている。時代的なのである。宇野重吉のキャストもなにかこの時代の映画らしさを感じさせる。が、それでも、宇野をはじめとした劇団民藝があちこちに配置されているからこそ、この作品の泥臭さ、人間臭さが旨く表現されている。音羽信子の魅力もとても表されている作品である。



桶屋じゃなくって置屋なのか。オケヤオケヤって聴こえたので、なんで桶か分からなかったけれど、きっと俗語でオケヤなんだろう、と思っていた。ところで、田原総一郎が演出した「ドキュメンタリー青春」が観たい。


フーテン作戦〜若者たちに何ができるか〜、とか、あるピンク女優作家の肉体による共同幻想論(鈴木いづみ)、とか、私は現在を歌う〜藤圭子 6月の風景、とか、『わたしたちは……』〜カルメン・マキの体験学入門、とか、バリケードの中のジャズ〜ゲバ学生対猛烈ピアニスト〜、とか、拝啓 藤純子様〜やくざ映画と人はいうけれど〜、とか、フリーセックス時代〜青春ごっこ〜、とか、新宿ラリパッパ〜このハレンチな魂の軌跡〜、とか、タイトルからして気になる。



1 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2020年04月>
日 月 火 水 木 金 土
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
2627282930  

最近の日記

もっと見る