元南海ホークスの名捕手
野村克也さんが亡くなった。84歳。
昭和28年、小学校5年生のとき、あることがあって
それまで大ファンだった巨人軍から南海に乗り換えた。
当時、監督は山本(鶴岡)一人で野村選手は
甲子園とは無縁の京都峰山高校からテスト生として
入団したばかりだった。
しかし、ほどなくして正捕手の座をいとめるや
南海を退団するまでその座を誰にも譲らず、
移籍後も「生涯一捕手」を貫いて45歳で引退した。
南海時代に捕手と監督を兼任してリーグ優勝したことがあったが、
糟糠の妻と離婚して野村沙知代さんと結婚、
チームを私物化したとか、鶴岡監督との確執が原因だったとかで
南海を追われた。
私は、野村捕手のいない南海なんかおもしろくないし、
西武にも関心がなかったので、
当時、万年最下位だった
サンケイアトムズ(ヤクルト)のファンになった。
ところが引退した野村さんが監督に招へいされ、
ID野球を実践して、弱小ヤクルトを強力なチームの変えてくれたのだ。
野村教室から育った選手は
古田、石井、池山、高津、岩村などなど数え切れない。
野村監督の下で、ヤクルトはリーグ優勝4回、日本一に3回導き、
そのたびに帝国ホテルで応援団の祝賀会が開かれ、
古田のサインボールをもらったこともある。
テレビ解説では野村スコープなどを駆使して打者と投手の心理を
わかりやすく分析して、野球の奥深さでファンを唸らせてくれた。
「生涯一ファン」だった私としては、やはりさみしい。
祈冥福。
ログインしてコメントを確認・投稿する