85年「IWGPタッグ・リーグ戦」最終戦12月12日、仙台・宮城県スポーツセンター(テレビ収録、観衆5,420人満員発表)の当日に、同大会に出場する予定だったブルーザー・ブロディ&ジミー・スヌーカが試合をボイコットして会場に姿を現さないという事件が起きています。
ブロディ&スヌーカは当日昼に東京から東北新幹線で仙台に向かいましたが、仙台から新幹線で東京に戻ってしまいました。
ボイコットの理由については諸説ありますが、当時の新日本プロレスのマッチメーカーをしていた坂口からのメッセージの入った手紙を車内で受け取り中身を見た途端にブロディの表情が変わり、東京へ引き返すと言い出してそのまま東京へ戻ったと言われています。
考えられるのが、マッチメーク(ブック)に関するトラブル。ブロディは、このIWGPタッグ・リーグ戦は全日本プロレスの81年「世界最強タッグ決定リーグ戦」同様、ブロディ&スヌーカ組が優勝し、初の日本メジャー2団体タッグ・リーグ戦初参加、初優勝を主張。
新日本プロレス側は、この年新設されたWWFインターナショナル・タッグ王座を獲得し、4度の防衛を果たしながらも、WWFとの業務提携解消によりベルトを返上せざるを得なくなった藤波&木村健組を売り出したく藤波&木村健組の優勝を考えており、プライドの高いブロディがこれを飲まなかったと考えます。
その為の伏線として、前12月11日、福生市民体育館で坂口とブロディが唐突にシングルマッチで対戦し坂口が左膝を負傷。ミスター高橋の著書によればこれは「仕込み」であり、猪木&坂口組と藤波&木村健組による決勝進出者決定戦は坂口が左膝の負傷箇所を押して試合に出て、ドクターストップあるいはレフェリーストップによる負けとなる。
そして勝ち上がった藤波&木村健組と1位のブロディ&スヌーカ組との間での優勝決定戦、2試合目の藤波&木村健組はスタミナ面で不利。ブロディ&スヌーカに散々攻撃された上で藤波が逆さ押さえ込み、首固め、回転エビ固めの丸め込みもしくはスーパーフライを切り返しての体固めで藤波がスヌーカからクイックによる3カウントでフォール勝ちし、藤波&木村健組が逆転優勝。
木村健がスヌーカから取るというのは先ずないでしょう。
ブロディ&スヌーカ組は優勝は逃したものの、リーグ戦は2位チームとは6点差をつけており、全日本プロレスの世界最強タッグ決定リーグ戦と同じ「最多得点チームが優勝」というルールなら文句なく優勝だった、ということで面子は保たれます。
これをブロディ&スヌーカ組は飲まなかった。理由はいくつかあるでしょうが、一番は藤波&木村健組が二人共ジュニア・ヘビー級上がりで身体が小さく、全日本プロレスの馬場&鶴田組、ザ・ファンクスにも1本負けしていないブロディ&スヌーカ組がクイックと言えど3つ取られるのは納得がいかなかったのでは?
まだ猪木&坂口組が相手で、猪木がスヌーカから3つ取る分にはブックを飲んだと思いますが、ブロディは藤波&木村健のことはは全く認めてなかったかと思います。
次に、ブロディ&スヌーカ組が優勝しIWGPタッグ王者(注・IWGPタッグ・リーグ戦は「王座決定リーグ戦」ではなく、ベルトは後づけで作られている)になれば、ブロディ&スヌーカ組に猪木&坂口組や猪木&上田馬之助組、藤波&木村健組、ディック・マードック&マスクド・スーパースター組、あるいは翌86年に新日本プロレスに参戦が決まったUWF勢の選抜チーム(前田日明&藤原喜明組など)と防衛戦をやれば少なくとも1年間は廻していけるし、ブロディ&スヌーカ組のセットでの来日頻度も増えます。
また、アメリカでは共闘しているケビン・フォン・エリック&ケリー・フォン・エリック組のエリック兄弟との対戦も状況によっては可能だったかも知れませんし、翌86年に初来日するスティーブ・ウイリアムスとブロディの対戦も見られたと思います。
ブロディは頭のいい人間なので、新日本プロレスに移籍してきてから僅か半年間の間に猪木とのシングルマッチをハワイでの試合を含め6回も行い、早くもマンネリ化して客足が落ちて来ているのは理解しているはず。自分達の来年の食い扶持を維持する為にも翌年はタッグ王者として新日本プロレスの主役の座に居座ろうと考えたとしてもおかしくはありません。
後、ブロディ&スヌーカ組が東京に引き返した時間は新日本プロレス側が提案したブックを取り下げて、ブロディの要求を飲んだとしてもメインイベントまでには再びブロディ&スヌーカが仙台に舞い戻ることは可能な時間だったことは間違いのないところでした。ブロディは新日本プロレスが折れて来るのを待っていたフシはあります。
が、結局、外国人に舐められるのを良しとしない体質の新日本プロレスはブロディを説得することはなく、ブロディ&スヌーカ組は最終戦には出場しませんでした。真相は藪の中…
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