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2018年10月29日19:15

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嵐が丘


男性にも乳房がある。なぜあるのか分からないが乳房がある。母性型社会が魂あるこの世界の事実であり、男性は女性から派生したミュータントなのでしかない。と松田優作と田中裕子の乳繰り合う、、もとい、契りを交わすシーンを観て思った。前にいる松田を後ろからおそう田中の主導権、母性の祖型が形作られる。吉田喜重の『嵐が丘』面白かった。古今東西、男性が合理化してきたかのように見える社会は母性型社会が素にあるものであり、合理化されようと、それはまやかしにあるものであり、カオスがこの世を、社会を稼働させる、まさにエモーションによって築かれるカオスの社会が人間らしさを産んでいる。松田が呪うと言う事、田中が地獄へ連れて行くと言う事、まさにエモーションがふたりの間にかよう事。クロサワの乱や影武者のようだと思ったら、スタッフもそこに参加した人たちによって生まれている。クロサワのこれらの映画があったから、企画が通ったのか。結構予算がかかっている。一見合理的に見える社会は供儀や侍衣装や歌舞伎隈取によって整合性をもたらせながらも、女性主人公の少女の一途な気持ち、社会で生き残る術、そして隠し部屋での契りのシーンにより女性が社会に導く人間らしさが、良くも悪くも産まれる。呪うも諍うも愛は、醜くも誇らしげに受け入れて成就する。カオスが世界の中心にあること、愛を確認する。


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