左幸子の妹だとずっと思っていたが、コンバンワ芳村真理のリルシスだったのか。吉村実子の素朴にも日本的土着性あるエロスが『豚と軍艦』の好きな大きな理由だと思える。大島渚が首が長い美形をヒロインにいつも置くのに比し、イマヘイはズッシリした土偶系の女性をヒロインに置く。後の春川ますみや倍賞千恵子や左幸子に比べたらまだ子供らしさを残す吉村であるが、太くズシリとした生命力は彼女によって体現化された春子にも同様に表される。これまで数回観たこの作品であるが、最終盤の東野英治郎に、さよなら、おじさん、と言って立ち去る姿は、『用心棒』のラスト、桑畑三十郎が東野英治郎に向かって、あばよ、と言って立ち去る姿にも似て、清々しいラストに思える。現在においても普遍的に存在するが、ワカマツが憤りの感情を向ける対象事象が起こるより以前の出来事に対して、イマヘイはサーカスティックな眼差しを向けている。それらの根にあるものは、ワカマツもイマヘイも同じように批判する体制なるものであろう。そして、その体制を生んだ亜米利加はいつまでたっても、日本にとっての亜米利加である。怒りはフニフニとおさまらない。だからイマヘイのカメラアイはギトギトとして人間を写し取る。人間学が重喜劇にお道化てみせる。マネーとアメリカの猿真似の横須賀、よござんすかと凄んで見せても気のいい兄ちゃんであることかわりない主人公を、長門は上手く表現してみせる。太陽族は裕次郎にもっていかれても、この若者像は便所での垂れ流死とともに記憶に永遠に刻印されるのである。
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