全日本プロレスオープン選手権の開幕戦が行われた75年12月6日、足立区体育館は国際プロレスのビッグ・ウインター・シリーズ最終戦、伊東市青果市場と日程が重なり、国際はマイティ井上を試合と入場セレモニーに参加させています。
M井上は公式戦でミスター・レスリング(ティム・ウッズ)と両者リングアウトの無得点試合でした。国際の伊東大会にはグレート小鹿と大熊元司の極道コンビがバーター参戦しています。
オープン選手権における国際勢と全日本の主要対戦カードの結果は以下の通り。(試合は全て公式戦30分1本勝負)
12月9日、福岡九電記念体育館○ザ・デストロイヤー(15分23秒体固め)●グレート草津
12月10日、岐阜市民センター△ジャンボ鶴田(時間切れ引き分け)△M井上
12月13日、福井市体育館▲鶴田(9分19秒両者リングアウト)▲ラッシャー木村
12月17日、千葉公園体育館○馬場(6分53秒体固め)●R木村
この中で特に問題視されたのが千葉での馬場vsR木村戦。両団体のエース対決で試合の途中でアブドーラ・ザ・ブッチャーが乱入、馬場とR木村の「両方に」攻撃を加えました。
前日の12月16日、長岡市厚生会館(現アオーレ長岡)でR木村と両者リングアウトとなっているブッチャーはR木村を見てカッと来たか額を鉄柱に叩きつけてR木村は流血。ブッチャーはそのまま逃走。
血で視界が遮られたR木村は馬場の河津落とし1発でフォール負け。セコンドについていた吉原社長が激しくレフェリーのジョー樋口に詰め寄り抗議しましたが、樋口の判定は「ブッチャーは馬場に味方した訳ではない」として判定は覆らず、お人好しで知られるR木村が凄い剣幕の吉原社長をなだめるというシーンも見られました。
馬場は「もう1回対戦するから」と吉原社長に約束してその場は収束しましたが、国際にとっては屈辱的なマッチメークを飲まざるを得なかった訳です。
R木村は結局、ドン・レオ・ジョナサン、バロン・フォン・ラシク、ケン・マンテルに勝った6点に留まり、鶴田と並んで敢闘賞を受賞、ドリー・ファンク・ジュニアには12月14日、米沢市営体育館で対戦し、フォール負け。
優勝は12月18日、川崎市体育館でホースト・ホフマンを破った馬場が11点で最多得点となり優勝。
この年の4月には新日本プロレスのワールド・リーグ戦に寄贈される予定であった力道山縁の日本プロレスのワールド・リーグ戦優勝トロフィーを手中に収めました。
馬場にとっては旗揚げ当初は助けてもらっていたはずの国際もこの時点では自分の手駒の一つでしかなく、国際のエースのR木村も世界の強豪達の前ではこんなもの、という格付けがファンに刷り込まれてしまいました。
12月11日、日本武道館で行われた力道山13回忌追善興行ではR木村はラシクに勝ち、草津はホフマンに勝ちましたが、M井上はヒロ・マツダのNWA世界ジュニア・ヘビー級王座に挑戦し2-1で敗れています。
国際の選手が登場した武道館大会は12月15日、午後7時30分から東京12チャンネルで90分枠に拡大して放送されましたが、東京12の国際プロレスアワーの田中元和(たなか げんな)ディレクターはこの屈辱的マッチメークに対し吉原社長に猛烈に抗議をしていました。
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