日本プロレス時代にもあったUN王座決定トーナメント。83年から遡ること12年前の71年12月、時のUN王者猪木は日本テレビとNET(テレビ朝日)2局放映による多額の放映権料と興行収入で儲かって仕方ないはずの日本プロレスでありながら、選手の処遇が良くならないことを危惧。
公認会計士である木村昭政と共に日本プロレスの5000万円の資金使途不明仮払金の勘定科目はダラ幹と言われた芳の里、遠藤幸吉らによる会社の公金私的流用であり、会計監査を入れて不正を摘発し幹部を会社から追放し、選手主体の会社にしていこうと画策しました。
馬場も当初は猪木の考え方に同調していましたが、「幹部を追放した後は猪木が社長になって会社の実権を握るらしい」という話を聞き態度を変えました。
上田馬之助が猪木と木村昭政の計画を芳の里社長に密告、一転して猪木は「会社乗っ取りを企てた」としてクーデター犯人扱いとなりました。
71年12月6日、茨城県水戸市スポーツセンター(NETが収録)で猪木はディック・スタインボーンとシングルマッチで対戦し勝利も精彩を欠く試合を見せています。(この試合から73年4月6日、新日本プロレスの宇都宮スポーツセンター大会まで猪木の試合はNETから消える)
翌12月7日、札幌中島スポーツセンター(日本テレビが収録)で馬場、猪木組はドリーとテリーのザ・ファンクスに2- 1で敗れインターナショナル・タッグ王座から転落しています。
猪木はこの翌日の12月8日、尿管結石を理由に都内代々木にある小林外科病院に入院。
12月9日、大阪府立体育会館(NETが収録)で予定されていたドリー・ファンク・ジュニアとのNWA世界ヘビー級、UNのダブルタイトルマッチは病気入院の為キャンセル。
代わって坂口がドリーのNWA世界王座に初挑戦し2-1で敗れています。
歴史は繰り返すというか?、因果応報というか?猪木は83年6月2日、蔵前国技館でのIWGP決勝でハルク・ホーガンのアックスボンバーを食らって失神KO負けしたちょうど12年前、既に入院ギミックをやっていた。(?)
さらにこの時は会社改革派の中心人物だったのに、やはりこの12年後のやはり83年8月にはアントンハイセルへの新日本プロレスの運転資金流用疑惑で今度は社内クーデターを起こされて一時代表権を失うことに…。
猪木は病気の為保持していたUN王座と吉村道明とのコンビで保持していたアジア・タッグ王座を返上。
アジア・タッグ王座は12月12日、東京体育館(日本テレビ、NETの2局が収録)で王座決定戦が行われ、坂口、吉村組がドリー、ディック・マードック組に2-1で勝ち王座獲得しています。
ちなみに馬場はこの日テリー・ファンクを2-1で破りインターナショナル王座を防衛しました。
猪木は6日間で保持していた3本のベルトを全て失い、翌12月13日、日本プロレスは猪木を会社乗っ取りを企てた張本人として追放・除名処分としています。
5000万円の資金使途不明の仮払金の実態について、日本プロレスの経理をしていた金庫番、三沢氏は「外国人レスラーに支払う闇ドル」だったと説明していますが、暴力団への上納金だったという説が濃厚でした。
さてUN王座は年が明けて72年に入るや否や、カナダのバンクーバーで王座決定トーナメントが行われると発表されています。
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