ウディアレンにおけるスーザンEモースやスコセッシにおけるセルマ・スクーンメイカーの、そのショットにおいての、次のショットへ変わるときまでのフレームの数がよくある映画に比べ多くて独特のリズムつくっていること感じるのと比し、スピルバーグにおけるマイケル・カーンとイーストウッドにおけるジョエル・コックスはけっこう繋げ方がジャストな感じがしたりしてて驚きがなかったけれど、撮ってきた素材を最初からあった計画通り並べるのではなく、編集室で考えてそれらの素材を再考して並べるのであろうと思えば、マイケル・カーンとジョエル・コックスはアメリカ映画の伝統と向き合いつつナチュラルに感じさせつつ、でもって、そんじょそこらとは違うユニークなエディティングしているのだなと気が付いてきた。長回しが多いけれど全体的にはなにかジャンプカットな繋がりを感じるアレンの独特のストラクチャーを組み立てるEモース、スコセッシにおける断片がシッチャカメッチャカな勢いなのにそれらを調えるスクーンメイカーに比べ、カーンとコックスは、もっと映画への同一化を託す意図がスピルバーグやイーストウッドにはあるからだろうから、繋げ方があまりにも自然だったけれど、やはりなるほど、おもしろく感じてくる。
いまフと思えば、アレンにおけるEモースもスコセッシにおけるスクーンメイカーも、そして確か、名前がど忘れしたけれど、リンチと長年組んできたエディターも皆、女性である。ユニークなエディティング、女性性と関係があるのかな。。
イーストウッドはインタビューで、現場は人件費がかかるけど、編集のときは人も少なくなるし、落ち着いて編集室でやれる、とかそうしたこと言っていたけれど、だから立ち会うんだろうけれど、でもって、それは普通なんだけれど、ジョンフォードは現場は好きであっても、とにかく編集室に閉じこもるのが嫌で嫌でたまらなくて、撮影が終わるとストックをまる渡しして、すぐに旅に出掛けたらしいが、そのかわり、最小限の繋がる数のショットだけしか渡してなかったといわれる。ちょっと伝説的なところはあるのだろうけれど、早撮りで有名だから、テイクの数は少なかったのだろうし、それでああしたのが完成するのだから、やはり凄い。
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