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2016年06月01日21:09

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ケマダの2 ヘルツォーク ホドロフスキー





  キンスキーを映像のなかで放置プレイすることにより、“理性”とはこのことである、人間とはまさに不思議な生き物じゃ、と自身の演出フィクション作品であるにもかかわらず、目を丸くしてその現場でビックリしているヘルツォークの姿が目に浮かぶ。そんなヘルツォークのテクストであるが、リンチと組んだ『狂気の行方』もまた、マイケルシャノン、デフォー、セヴィニー、ウドキアにブラッドドゥーリフの顔ぶれもあり気になる。狂気がずっと出ているばかりで意外性がないと言われたりするけれど、リンチ的にみる潜在性ではなく、ヘルツォーク的には人間をじっと捉えてゆく(表層性というでなく)その内実性、それゆえヘルツォーク的であると思われるので、意外ではないようにも思えるのだが。どんな感じかな。







   『狂気の行方』もどんなもんじゃろうと思ってしまうが、日本では全く無視されている“The Wild Blue Yonder”はチョイと関心がある。私はあまり、自分はエイリアンであるだとか、ユタ州の山のなかにUFOの基地があるとかそうしたネタに興味がないけれど、“The Wild Blue Yonder”はミームを考えるなかで観てみたい。思弁的実在の考察なのかな。








    ニコラスウィンディングレフンがホドロフスキーのデューンに出てきていたときは友達かなにかなのかなと思っていただけなんだけど、彼の『ドライブ』にはホドロフスキーに捧げるの一文が出てきたらしいけど、彼のこの『オンリー・ゴッド』にもその言葉が表されているらしい。『ドライブ』を思い出しても、どこにホドロフスキーの影響があるのか全くもって思い出せないけれど、観念は自然に育まれ営まれるべきなにかなのか、そうしたところが表されるのか、そういうところなのかな。『オンリー・ゴッド』観てみたい。









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