◆『6才のボクが、大人になるまで。』(Boyhood;2014)メモ
★ だらしない。:要点がない。 → 父親像 だいたい人とはそうしたもの。
★ 母親:たぶん強いのだろう。父親たちは彼女との結婚後、ダメになっていく。
★ 父親と家族:男はルールを敷きたがるもの。
★ 原題の少年時代。主人公は指示されると言ったり、ルールと言ったりするが、少年時代はルールというレールの上で進みながら、それからズレるものであり、それが人生、即ち人の生きる道なのであろうか。
★ メイキングにおいてリンクレイターありふれた日常と言うが、ラストは締めるからか、リンクレイター的にフィロソフィカルである。“Slacker”『ウェイキング・ライフ』、『恋人までの距離』と会話劇が多く、その会話はなにか禅問答のようであり哲学的であるけれど、ありふれた日常というものには哲学がびっしりなのかもしれない。
★ 観ながら、子供が生きる世界ってのではなく、子供から見た大人の世界ってより、家族のなかでの他者との距離かなと思いつつ、そのプロセス、嫌これは、世界との距離なのかなと思いつつ、そうした対峙する世界は、対自たる人間的存在の常に置かれた状況なのか、と思いながらも、そうしたインテリジェンスに格式ばって観てもつまらないと思いつつも、リンクレイターだからやはりフィロソフィカルな日常を表わしているのだと思った。きっと日常とはそうしたフィロソフィーなのである。
★ 子供が見る世界だけれど、やはり子供から見る大人の世界は男女間の微妙なエモーショナルなモーションが気になるのだろうか。主人公が捉える大人の男女の愛の始まりや確執が、彼の主観ショットに表わされる。その主観ショットもやがてなくなり、彼自身と女性の客観ショットにはやがてなるのだけれど。男女間のエモーションが気になるから、子供はやがてAVで男女の裸を見出すのだろうか。子供の捉える意識が育まれ、そうした形になるのだろうか。レズものばかりを観るオレの子供時代はどうやって形成されたのかと、不安になってしまうではないか。
★ トリュフォー/ピエール・レオの『アントワーヌ・ドワネルの冒険』シリーズのように、リンクレイターはひょっとしたらエラー・コルトレーンとメイソンの今後も撮っていくのかもしれないと思ったりもする。ルーカスのスターウォーズなみのスッゴイ ライフワークだぜ!
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