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2016年04月12日02:40

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関ヶ原史料「黒田如水」地方情勢一一〇号

○加藤清正は熊本にいて、黒田如水は大分県の中津にいました。今度は如水の手紙です。宛名が藤堂高虎なので、藤堂家の記録から採録されています。日付は九月十六日。関ヶ原決戦の翌日ですが、当然、如水はそれをまだ知らないわけです。

●手紙一一〇号「清洲で御目にかかりました使者が、去る五日に帰り着きましたので、内々に加主計と相談しました。急いで手切れの働きをなさいませ、と申し伝えました」「私は去る九日に出陣して、十二日にカケヒ城を取り巻きましたところ、九日に義統が豊後の別府、浜脇という所に兵を置き、立石という所に城をこしらえ、紹忍、宗形が馳せ参じ、十一日に杵築へ取りかけたとのこと、カケヒ城に報告が届いたので、この城は捨てまして、騎馬のみで駆けつけましたなら、すぐに引き払って立石に立てこもったのです。十三日に、杵築衆と私の先陣の者が、立石へ駆けつけ、三度も合戦をし、宗形掃部、吉弘加兵衛、そのほか歴戦の者を数十人、討ち取りました。その日は夜になってしまったので、十四日に立石の城を攻め崩してやろうと決めたところ、思わぬ大雨が降り、日延べしました。そうしているところに、十五日の未明、義統と紹忍が、母里多兵衛の陣地へ走り込んできましたので、しかたなく一命を助け、義統は中津へ送りました。紹忍については、立石にいた兵を引き連れて私の陣へ来るように、と約束して帰られたのですが、その夜に中川修理の所へ逃げ込みました。中修は、内府様への敵対心もないので、紹忍、宗形、義統の陣へは行かなかったのです。結局、兵を添えて差し出すことになるようです。たぶん内府様へ、中修理のほうから使者など行くでしょうが、取り合われませんように、内々に御伝えくださいますように」「熊谷カケヒ城は、数日のうちに済むでしょう。小倉方面に出まして、手があけば加主計と相談し、関戸越えで広島をも取ってやろうと思っています」「河渡の川を無理に越えられて、あなたも田兵太も、甲斐守ともども御手柄だったと聞きまして、大変に喜んでおります」「井兵少と御相談になり、甲斐守には備前中の没収領をいただけますよう、御取り成しを御頼み申します」「加主計と私は、このたび切り取った分を、内府様の御取り成しで、秀頼様から拝領できますように、井兵と御相談のうえで、御働き掛けを御頼み願います。今までの御付き合いがあれば、今こそです」「甲斐守には、ともかく上方で御領地をいただき、私とは別家で内府様へ御奉公が致せますように、御配慮を御頼み申します」「どこにおわすかと話しております。こちらの御気遣いは御無用です。互いに吉事、おいおい話を致しましょう」「追伸。この手紙は秘密になされて、御返事くださいませ」

○黒田如水こと「天才軍師黒田官兵衛」は、関ヶ原の合戦にあたって「九州全土を手に入れてやろう」とか、「いま再び天下を狙ってやろう」とか、「壮大な構想を持っていた」と言われます。それを「信じている人」には、不本意な内容の手紙でしょうね。不明な単語はあるものの、およそ意訳すれば、「清洲で動きが始まったので、こっちも動いた。すると大友義統らが、細川の杵築城に攻め寄せたので、駆けつけた。大友らは立石に砦を造っていたので、攻め落としてやろうと思っていたら、向こうから降参してきた。一人は約束を破って中川秀成のところへ逃げた。中川は自分の手柄のように報告してくるだろうが、取り合わないでくれ。次は小倉をやって、それが終われば広島まで攻めてやろうと思っている。息子の甲斐守長政には、宇喜多秀家の領地がもらえるように、井伊直政に話してくれ。加藤清正と私には、こっちで切り取った領地がもらえれば、それでいい。とにかく長政には、関西で領地を持ったうえ、家康様の家来になってほしいのだ」と、こんな感じ。「ゼンゼン官兵衛らしくない。これは藤堂家で勝手に作った偽書じゃないのか?」と思うのでしょうね。

○おそらく偽書でしょう。だとしても、これでさえ「天下取りの合戦に合わせて作られた偽書」ということになるのです。合戦の状況が変だからですね。手紙の如水は「九日に出陣して、十二日にカケヒ城を取り巻いた」と書いています。第三文には「熊谷カケヒ城」とありますが、「熊谷のカケヒ城」と読むのか「熊谷とカケヒ城」と読むのか、それがわからず、カケヒ城の位置が不明なのです。ともかく如水は「出陣したあとで、杵築城に大友が攻めてきたことを知る」わけです。しかし杵築城は、細川家の飛び地領で、細川忠興と言えば「定説では無視されているけども、手紙史料では、大坂から特別に敵視されている者」じゃないですか。そして、杵築城に対する降伏勧告の手紙「五五号」があって、さらに増田長盛が説得する手紙「六七号」もあったわけです。ならば大坂が「九州に攻撃軍を送る」場合、その対象は「杵築城に決まっている」というものです。この時点で明白に「大坂に敵対」している唯一の城なのですからね。しかも実際「かつては九州の大名で、今は領地を失っている大友が、このチャンスに手柄を立てて、旧領を回復するために、杵築城の攻撃に出てきた」ことになっているわけじゃないですか。「敵が動いてくる」なら「最初にここだ」ということも気づかないまま、「あとで報せを受けて知りました」というのでは、物語の中の軍師だったら務まるでしょうが、現実の中では素人同然です。「囲碁のプロ棋士が定石も知らない」というくらいの「おかしな話」なんですよ。細川と友好関係にあり、息子が徳川と一緒に行動している如水にとって、第一に考えるべきは「敵が杵築城を巻くと想定し、後ろ巻きに出る準備をしておく」ことなのです。よって一一〇号の書く「大友の杵築攻め」を信じれば、対応する「如水の理解と行動」は、すべて「後世の作り話」ということになるし、「大友の杵築攻め」が事実と違っているのなら、一一〇号は「全部デタラメ」の偽書でしかないのです。なお、この手紙以上に「如水が攻撃的」な話の場合、もっと嘘です、残念ながら。
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