『リアル〜完全なる首長竜の日〜』(黒沢清;2013)
クロサワがメジャー作品を手掛けたということゆえに気になっていたのだが、トレーラーからてっきりこれは、マトリックスやインセプションに、クレヨンしんちゃんやドラえもんの劇場版ファンタジーや「恋〜〜〜〜句点」な恋愛ものが混在したような作品だと思っていた。けれど、そうしたものなのではなく、黒沢節がしっかり表わされるものであったのである。大作を手掛けるようになってからレイティングがあるからなのか、或いは制約がありすぎるからなのか作品がオモシロくなくなった印象の三池崇史に比し、世界のクロサワは、予算が違っても頑固なまでにスタイルを変えない。セットとタケルとハルカと恐竜にほとんど製作費がいったのか、そうした部分の他はいつものクロサワ・ワールドまっしぐらである。奇妙で不穏な雰囲気、あいかわらず心臓に悪い。
黒沢清は愛のモノガタリをつねに表わす。そしてそれは、失われたものとしてのそれである。そうしたものがこのテクストにもいつものように表わされる、が、観ていると、なにか今回は違うのかなと思ってきた。前半みてると“リアル”が意味するものとは主観であり歪んだ実像のことなのかと、そうしたこと表わされているのかと思って観ていると、後半になると、なんだ、いつも彼があらわすような「意識」であり「鎮霊」なのだと理解してくる。いつもと同じじゃん。世界のクロサワは頑固なまでにリアルにスタイルを変えない。それにしても、リアルとはどういった意味で表わしていたのかが分からん。まあいいか。綾瀬はるか、素敵だ。世界のミイケと同様に、黒沢は女性ではなく母性を描くわけであるが、綾瀬はるかはそうした母性に完全にフィットしている。
『ラヂオの時間』(三谷幸喜;1997)
久しぶりに観る。好きな作品である。ハリウッドが好きであるがゆえの、ヒーローとヒロインを定めたところ、転がり続け予期しない想定外へと動くナラティヴといったものだけではなく、三谷のこのテクストはラジオの見えない部分を感じさせなにかノスタルジアを生むところ、そうした時空間の匂い感が今まで2〜3回観たころでも好きだったと思うが、今回は「見えるところと想起させるところ」、シニフィエとシニフィアン、そして“ブリコラージュを描いた作品”というところを感じて、それがオモシロかった。新たな思考的発見でも素敵に思える、今回のテクストである。
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