mixiユーザー(id:2566286)

2015年01月28日23:57

254 view

ヌイグルマーZ

               ヌイグルマーZ (2014)

 オモシロかった。『片腕マシンガール』と『ロボゲイシャ』のようなインパクトがないのは、時空間もドッギャーンとしたものもコンパクトな括りで表しているからなのだからだろうけれど、しかしながら、ショコタンの淡い色彩のゴスロリ姿とヘラヘラ顔で見えにくくしながらも『ヌイグルマーZ』にはパンキーな精神が確かに表されている。パンクとファンクは今此処でバクハツしている。『片腕マシンガール』と『ロボゲイシャ』のモノガタリにあらわされるかのような友愛やリヴェンジ、或いは成長物語、a.k.a.通過儀礼ではなく、井口昇の内からゲロのように沸き上がるスピリットが確かに表されているのである。
  スパゲッティウェスタンや東映任侠もののように、主人公がケチョンケチョンにされ抑圧されその結果の反作用とばかりに怒り心頭となることはない。そんなモノガタリ的な装置性は装飾性とばかりに放棄され、ヒューマニティーの本質の形象あらわす。ヒトの本質をスペクタクルに表しているようでありながらも、さにあらず、状況は3Dに奥行き深い。パンキーな『ヌイグルマーZ』、ガラパゴス的にメルヘンであってもこれまでのようなインパクトはなくとも、井口のこれまでのテクストにはないナチュラルさもって、人間性の共有をうながしているのだ。シャイなジャポネーズ的に内向きで、グルグルに回りまわってグツグツ巡り、何を考えているのか分からないと言われる新人類世代よりもさらに何を考えているのか分からない、というか、私たちだって悩みあるのよ!って言われてもホントに中身がなく、それがひねくれて在るわけでなくピュアに素直に存在しちまっているからさらにテーヘン、しかしながら、そのエモーションはじつのところ隠されているわけではなく、そのフィギュアにそのまま存在し、表層の下も裏も表もなく、ヒューマンビーイングの普遍的な喜怒哀楽があらわれいでている。中身と外側のこのアダルトチルド連携プレイ、現実社会のジャポンでも成功しているようにこのテクストにおいても成功す。
  上っ面のロゴスを壊すパワーへの憧憬が表されているのでなく、モダンジャポンにおける投企が現在のあるがままジャポンの精神として表されているが、それもこれもショコタンのおかげ。それが証拠にショコタンはヘラヘラ顔しながらヌンチャク振り回し、アチョーと言っているではないか。アダルトチルドレンに属するショコタンはそのあるがままを、素直にディリジェントに表す。彼女は裏もないけど、お・も・て・なし。日本人的な武士道精神あらわしている。礼儀があるのだ。冒頭の人形を守る少女への語りかけ、途中、ビリーに連れてかれる響子に浴びせられる言葉に放心状態のあとロゴス壊すころできる無意識がパンキーにあらわる夢子、終盤の響子に素直に謝ること託す夢子、それらの表現、カワユスウレシスカッコよす。そのさりげない感覚/間隔に、モノガタリ的な装置性がもたらすことのない、人が共有できるヒューマニティーあらわれている。礼を重んじ相手を思い遣る。映像はちゃんと正真正銘のショコタンを写し取り、モノガタリではない優しさと強さを表しているのである。
  日本人は優しく強くもある、そして弱く脆くもある。ネットの世界であろうが国家であろうがローカル/セントラルにかかわらずエリアを超えて、様々なところを侵害するウィルス、それはチャーリーが終盤で普通に持ちうる原子力リーサルウェポンでも同じこと、詐欺や災害やテレビドラマに描かれる事件と同じように、我々に身近にありえるクライシスなのである。ヒトは唐突にではなく、オールウェイズそれと出会う可能性を持つ。だからである。ヒトはパンキーに優しく強くあらねばならない。現状を打破するパワーは潜在的にではなく、裏表でもなく、あのヘラヘラ顔に表されるように、お・も・て・な・し。お・も・て・な・しはコミュニケを導く。問題を言い訳にして引きこもるマシンガンガールも、露出症極まる妄執溜め込み少女たちも、唯我独尊になりたがる小心者も、方向性分からず彷徨するニッポン人たちも、互いにぶつかり合う。主人公も遂には、偶像崇拝をつき壊し、新たなアイドルとなる。新アイドルはピグマリオンなモノなのではなく意思を持った者だ。このアイドルに表されるものがパンキーなのであり、相手に自分に対する以上に優しくあり、それと同時に強く対峙できる。
  ジャポネーズらしくその表層、分かりづらいようでありながらそれがガラパゴスに生きる我々、悩み笑い活き活きしている。裏表なく、お・も・て・な・し。お人好しの日本人はいつも危険と隣り合わせ、主張せずに自分を愛してばかりで回りを見ずに悩みを抱え持つ。しかし、潜在するでなく裏表なのでもなく、間隔にエモーションを持っている。ほんとはまわりに気遣いする喜怒哀楽のエモーション、間隔のムーブに思い遣りあらわすのだ。知ってか知らずか、この放置プレイにムーブあらわされる。ムーブはこの遊び感覚のなか、感情のぶつかり合いに生成されている。日本人の笑顔の優しさと強さの根底にあるもの、グルグルにグツグツに思いやること、それがパンキーな日本人性なのである。ヌイグルマーゼットッ!





3 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2015年01月>
日 月 火 水 木 金 土
    123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031

最近の日記

もっと見る