イタみ十三 その6
式日、かつて観たときは確か、途中で寝た記憶。今回、オモシロかった。ポンコツレコーダー、シーンをフリーズさせたりジャンプしたりとハプニング、これもこの作品に合っている。
『式日』を観ると、イリュージョン(という装置性)からの解放を試みることが行われているようだった。ナレーションでもそうしたことが表されていた。スコリンにもそうしたものが、NATURE(自然/本性)への志向において表されている。虚妄が生み出す狂気、そして虚妄を追う激情が表現される。前者の虚妄がマテリアル社会が生むイリュージョンならば、後者の虚妄は本来の物質性であろう。だから、後者は虚妄でもイリュージョンでも、そしてファンタスムでもなく、或る官能性とも言えるものであろう。想像(或いは、創造)性とも印象性とも違うし、内面に自ずと湧き上がるもの、だから官能性と考える。ところで、官能性を英語ではなにかとチェックするとfunctionalityとなっており、functionalityをチェックすると機能性と出てくる。官能性と機能性とは同じものなのだろうか、と不思議になる。日本語と英語が全く同じシニフィエになるとは思えないけれど、Functionalityと官能性は近い意味内容なのだろうか。ところで、庵野秀明においても、岩井俊二においても、蜷川実花/岡崎京子のヘルタースケルターにおいても、表される内容が超越に向かうにせよ、望郷にせよ、物語解体にせよ、映像性に関してみれば、イリュージョンからの解放があったかのようである。てか、現代の映像においてもアートの作品においても、商業的なものなものもアングラ的なものにおいても現代はそうした傾向にあるといえば、そうなのではないかとも思える。フジの『バイキング』もそうしたものが試みられているのかなぁ〜。
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