10/28(土)、浜松市美術館で開催中の展覧会「みほとけのキセキ�供善鷭�・三河のしられざる祈り」を観てきた。
前回は2021年3〜4月に「みほとけのキセキ〜遠州・三河の寺宝展」が行われた。
大変に濃い内容に仕上がり、新型コロナの蔓延する中、1ヶ月という短い会期だったにも関わらず、2万3千人強にも上る動員を果たした。
仏像は奈良・京都だけではない、地元にも素晴らしいものがあり、それを培った歴史や文化があるという事を確認した。
前回展については以下のレポートを参照頂きたい。
その1)
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1978885972&owner_id=3341406
その2)
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1978889768&owner_id=3341406
その3)
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1978898541&owner_id=3341406
更に調査を広げ、研究を重ね、今回「みほとけのキセキ�供廚�行われる事となった。
基本的なコンセプトは変わらない。
遠州・三河地域15の寺社から集めた展示総数50点、内、寺社外で初公開となるものが20点もある。通常は非公開の秘像もある。
地元にあってまだ見ていない仏像がこんなにあるという事に、改めて驚きを感ずる。
副題の「しられざる祈り」には、こうした含意がある。
展覧会図録冒頭の「ごあいさつ」から一部引用する。
「調査研究を進める中で、遠州地域と東三河地域には、文化財指定の有無に関わらず、これまで十分な確認がなされていなかった仏像、最後の調査がなされてから長い時間が経過し、情報更新の図られていない仏像が依然として多いことが分かりました。」
「本展では、前回展から継続してきた調査研究の過程で新たに見出された作例を中心に、(中略)遠州・三河地域の仏教文化の様相と関連付けながら紹介します。」
・会期 10/14〜12/3
展覧会のチャプター構成は下の通り。
・プロローグ
「みほとけのキセキ」〜「奇跡」と「軌跡」の意味。
・「キセキ�機�
定朝様式のみほとけ。日本風と中国風の四天王とともに。
・「キセキ�供�
背中で語るみほとけ(1)〜水辺に伝わる都風の仏像。
・「キセキ�掘�
背中で語るみほとけ(2)〜時代の移ろいを一木彫立像から。
・「キセキ�検�
姿を変えるみほとけ〜山岳に伝わる大日如来と不動明王。
・特別展示A
「はまび」のみほとけ。
・特別展示B
徳川家ゆかりの寺院と江戸時代のみほとけ。
以下、概ね制作時代を追ってピックアップし、紹介していきたい。
・菩薩立像 塼仏(せんぶつ) 白鳳〜奈良時代(7世紀後半〜8世紀初頭)/磐田市大宝院廃寺出土
「塼仏(せんぶつ)」とは、型に粘土を詰めて作り、焼き固めた板状の仏像。大宝院廃寺跡から、大量の瓦類と伴に見つかった。高さは14cm。
出品されているのは菩薩立像だが、見つかってはいないものの、中央に置く如来の塼仏もあったろう。
同じようなサイズの塼仏が三重県名張市の夏目廃寺跡からも発見されている。その中には、持統天皇藤原京遷都の694年の干支(甲午)を記されたものがあった。
本像も同じ型から作られた可能性もなくはない。7世紀後半〜8世紀始め頃の作と考えられる。
・僧形八幡神座像/女神座像 一木造 平安時代(11世紀)/磐田市府八幡宮所蔵
府八幡宮にはもう一体の女神座像があり、三体組み合わせで作られたと想定される。
一木から掘りだし、内刳りは施さない、古い時代の制作手法。高さ47/48.3cm。
普通なら避ける節をそのまま使っている事から、神木・霊木を材料にした可能性がある。
微笑んでいるようにも見えるがどうか。
通常非公開の上、社内外含め初公開。磐田市指定文化財。
・月光菩薩立像 一木造・背刳、漆箔 平安時代(12世紀)/袋井市西楽寺所蔵
ペアである日光菩薩も同寺薬師堂に存在し、前回展にはそれらの中央に配置された薬師如来坐像が出品された。
しかし、薬師如来のサイズに比して日光・月光が大き過ぎる事から、この薬師像は別の場所のために制作されたのではないかとも考えられている。高さ168cm。
前回展のあと、2022年8月に西楽寺を実際に訪ねた。
以下レポート�,北�師如来坐像の写真データあり。
レポート�△砲蓮¬�師堂内に置かれた3像の写真がある、暗くて見にくいが。
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https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1982981957&owner_id=3341406
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https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1982989503&owner_id=3341406
頭と体幹部を一木で作り、背面を背板状に割り矧ぎ、背刳りを施しているのが、2枚目に貼付した写真でよく分かる。
背板部分は亡失して存在しない。
左右の腕は別材。両手両足先は後に補われたもの。
制作方法と左右対称の浅い衣文等から12世紀の作と考えられる。
寺外初公開。
(続く)
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