先月だったか先々月だったか、書き洩らした袋井の西楽寺について、思い出しながら少しばかり書いておく事にする。
西楽寺の仏像は、昨2021年に浜松市美術館で行われた「みほとけのキセキ〜遠州・三河の寺宝展」に展示されていて、これが寺の中ではどんなふうに見えるのだろうかと、興味があった。
以下、同展レポート。
その1)
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1978885972&owner_id=3341406
その2)
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1978889768&owner_id=3341406
その3)
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◆「安養山西楽寺」について、現地説明板より
西楽寺は奈良時代724(神亀元)年開創の寺で、聖武天皇の命により僧行基によって開かれ、平安時代の1087〜93年(寛治年間)には六条右大臣源顕房(あきふさ)、堀河天皇の援助を受け、真言霊場として大いに栄えた。
1506(永正3)年には足利11代将軍義澄より寺領6町が安堵され、その後も今川義元・氏真、足利13代将軍義輝、豊臣秀吉、徳川家康を始めとする代々の将軍から寺領を安堵され、また、学山と言われる程多くの学徒が集まった。
境内には多くの堂塔が立ち並び、最盛期には12坊あったが、江戸時代には6坊となった。
江戸時代の境内図。今はないが、本堂左奥には三重塔があったようだ。
1868(慶応4)年、明治維新のおりには、有栖川宮が総大将として官軍5,000人を率い、参謀に西郷隆盛他3名を伴って東海道を江戸へ向かった。途中、西楽寺不動明王の前で戦勝祈願。
戦後、無事江戸城無血開城できた事を感謝し、西楽寺は有栖川宮家の祈祷所となった。
◆西楽寺本堂について、現地説明板より
現在に迄残る本堂は、江戸時代中期に建設された禅宗様式の五間堂。
平成の大修理により甦った入母屋造杮葺きの屋根や、豪壮な組物に260年前の山名地区(磐田と袋井を跨った郡域)の歴史をしのぶ事ができる。
1735(享保20年)頃 建立
1743(寛保3)年 扉の小修理
1787(天明7)年 屋根の葺き替え
1799(寛政11)年 同
1826(文政9)年 同
1845(弘化2)年 同
1852(嘉永5)年 内陣の小修理
1887(明治20)年頃 宝形造桟瓦葺に改造
1991(平成3)年 半解体修理 建立当初の姿に戻す
以下、現在の本堂の姿。
唐破風屋根を支える複雑を極めた絢爛な組木。
・本堂のデータを集約すると以下の通り。
間口約11.2m、奥行約11.2m、棟高12.46m、軒高4.88m、
桁行五間、梁間五間、外陣2間、内陣3間。
周囲に縁、正面の向拝は1間で杮葺の唐破風。
1980(昭和55)年11/28 静岡県文化財指定。
天井の格子絵は今も色彩がよく残っている。制作者は不明。
◆薬師如来像について、現地説明板より。(写真は図録からスキャナーで取り込んだ。)
この像は、高さ2尺八寸(等身大)の木造り坐像、白毫・内剣・寄木造りで藤原時代末の作と鑑定されており、県指定の重要文化財である。
左右に日光・月光両菩薩(共に立像等身大)を脇侍として持つ。
1951(昭和26)年8/27、斯界の権威者 国学院大学博士 大場磐雄先生は検分鑑定の上、三尊共同時代作で衣紋には鎌倉時代の有名な仏師運慶・湛慶父子の流れも見えるが、総じて定朝(平安時代仏師)様式彫刻と確言した。
霊験あらたかな薬師如来で、地元の人々の絶大な信仰を集めている。
〜説明板製作、1979(昭和54)年3月
(続く)
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