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2022年08月10日12:00

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袋井 西楽寺のみほとけ��

(続き)

昨日の日記で紹介した西楽寺の現地説明板に書かれている内容は、「みほとけのキセキ〜遠州・三河の寺宝展」での解説と若干異なる。
展覧会の鑑定は最新であるし、学術的な面でも信憑性が高いと考えていいだろう。

同展図録中の『遠州地域への定朝様式の伝播をめぐって』(成城大学教授 岩佐光春)より、以下抜粋して引用する。

西楽寺 薬師如来坐像は、新しく建てた薬師堂に日光・月光と伝えられる菩薩立像と伴に、三尊形式で安置されている。
置かれた場所のせいで脇侍はよく見えないが、以下写真参照。
フォト

本像に対して両菩薩像が大き過ぎ、作風や造法も古様である事から、本来は別の由来に基づく像であると考えられる。
定朝様式を踏襲してはいるが、上唇を強く前方に突き出した顔立ちには一種のクセのようなものが感じられる。やや面長、頬の張った顔の輪郭は両脇侍に近い印象が感じられる。
頭体幹部を通して一木で造り、前後に割矧ぎ、内刳りを施している。割矧ぎの技法が用いられているものの割首は行っておらず、作風、造法共に古い。
過去において両菩薩を既に制作していた仏師が、定朝様式や割矧ぎ造りといった新様式と技法に触れ、新たに造った時、本像が生まれたと推測する事もでき、興味深い。

同『みほとけのキセキ〜遠州・三河の仏像とその魅力』(浜松市美術館学芸員 島口直弥)。

(前略)西楽寺の日光・月光菩薩立像は、その作風や像高からも現在の中尊である薬師如来坐像と一具の作とは考えにくく、その制作は平安時代中期にまで遡る可能性もある。その伝来は定かではないが、別の場所から薬師堂へ移され、現中尊の脇侍として安置されたものと推察も可能だ。

・薬師如来坐像のデータを集約すると以下の通り。

 木造、漆箔。
 頭体幹部を一木から彫りだし、前後割矧ぎして内刳り。但し割首手法は採っていない。
 彫りの浅い衣文、奥行の薄い身体。
 左掌の上に薬壺。
 像高84.4cm。
 平安時代後期(12世紀)の作。
 静岡県指定文化財。

◆次に、西楽寺本像 阿弥陀三尊像について

写真は、三尊の内、阿弥陀如来坐像。(図録より)
フォト

同図録掲載の『西楽寺の本尊』(静岡大学教授 大宮康男)より引用。

阿弥陀三尊像は西楽寺の本像で、来迎形式に則って作られている。
本堂は1716〜36年(享保年間)に再興されたものだが、その厨子内に安置されている。
厨子は奥まって暗い場所にあり、精細な写真は撮れないが、以下参照。
フォト

本来、中尊像に向って右側に観音菩薩像、左側に勢至菩薩像があるべきだが、本寺の三尊像は左右が入れ替わっている。原因は不明。
中尊像の光背円光部は当初のままのもので、大変に珍しい。

観音菩薩像は右膝を立て、両手で臨終者の魂を入れる蓮台を持つが、下の写真(図録より)の通り、本寺のそれは失われている。
死者を受け容れようとする慈愛に満ちた表情は大変に美しく、感動的だ。
フォト

勢至菩薩像は跪坐し両手で蓮華を持っているが、肘から先は両手共後補(あとから補われたもの)である。
フォト

世にある他の例からして、本来は、先に天蓋または幡(ばん/はた)を吊り下げた棒を握っていたか、合掌していたのではないかと考えられる。当初より現存の通りであるとするなら、珍しい作例だ。

中尊像の胎内に、制作時期でなく、1290(正応3)年に修理した旨の墨書が確認された。
左右菩薩の胎内にも墨書があるが、こちらは来迎する阿弥陀につき従う25菩薩全員の名である事が分った。

平安時代後期には、比叡山の僧 恵心僧都源信が著した『往生要集』により、阿弥陀来迎思想が広まり、それを表現した絵画や彫刻を作る事が流行した。
普段から阿弥陀仏を篤く信仰すれば、臨終時に極楽浄土から阿弥陀如来が菩薩を従えて迎えにやってきてくれるというのである。
「臨終行儀」では、亡くなる人の枕元に阿弥陀来迎図や仏像を置き、死後に極楽浄土への往生を祈った。
阿弥陀に従う菩薩は、正規には全部で25人という事になっている。
西楽寺でも阿弥陀と25体の菩薩群像を造りたかったのだろうが、そこ迄は実現できず、菩薩胎内に全尊名を墨書したのだろう。

脇侍は写真では見えないが、三尊全て水晶の玉眼が入っている。これは特筆すべきだ。
玉眼は彫刻の写実性を増すために編みだされた技法で、運慶仏で優れた例を見る。(運慶の玉眼使用の最初は1176(安元2)年完成の奈良円成寺大日如来。)
玉眼はかなり高度な技で、失敗するとせっかく作った仏像を台無しにしかねないため、熟練した仏師にのみ許された。(*)
玉眼制作の最も早い作例は、平安時代後期の仏師 康助(こうじょ/生没年不明)と推定されている1151(仁平元)年作の長岳寺阿弥陀三尊像。
西楽寺の阿弥陀三尊の制作時期を特定する上で、1つの手がかりとなる。

(*)
袋井市の近辺では磐田に国分寺があったため、仏教文化が咲き誇った。
西楽寺の阿弥陀三尊像は、定朝様式を踏襲した美しい像である事、玉眼技法を実現している事等から、作者は中央で正規の仏像制作技術を修得した正統派の仏師である事が想定される。

・阿弥陀如来坐像/観音菩薩坐像/勢至菩薩坐像データ

 木造、漆箔、玉眼(但し、玉眼は後補の可能性がない訳ではない)。
 頭体幹部を一木から彫りだし、前後に割矧ぎし、内刳りの上、割首。
 定朝様式を基調とするが、肉身に量感、衣文に強さが加わる等、鎌倉時代の新様式を予 見させる造形となっている。
 両手は来迎印を結ぶ。
 像高53.9cm / 48.1cm / 43.7cm。
 平安時代後期(12世紀)の作。
 静岡県指定文化財。


〈参考資料〉
・図録『みほとけのキセキ〜遠州・三河の寺宝展』
 執筆 島口直弥 他
 発行 2021年3月、みほとけ展実行委員会。
 
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