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2025年11月09日10:00

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秋の上京3日目、上野 東京国立博物館(運慶) (改)

10.30(木)、秋の上京最後の3日目。門前仲町のTホテルを10:00にチェックアウト。
地下鉄を乗り継いで上野へ。
目的は東京国立博物館の特別展「運慶 祈りの空間〜興福寺北円堂」。

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チラシ上《弥勒如来坐像》、下右・左《無著・世親菩薩立像》(何れも部分)。
・会期 9.9~11.30
今回の会場は平成館でなく本館特別5室。

運慶仏を直接に観たのは2009年4.14、トーハクの「国宝 阿修羅展〜興福寺創建1300年記念」展の《仏頭》(興福寺西金堂)だった。
だが、私が運慶仏を全部観てみたいと思いたったのは少し遡る。

"私的運慶の旅"、その履歴を第1)項から10)項に整理した事がある。オーバーだが、この履歴は、日本における運慶研究の進展とリンクしている。

以下レポートでその1)〜10)をチェック頂けたらありがたい。
〈参〉「興福寺中金堂再建記念特別展 運慶/東京国立博物館(改)」(2017.11.13記)
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1963649721&owner_id=3341406

この進展の中で、運慶仏と認定される仏像の数は少しずつ増えていった。

そして、10)項の展覧会では、運慶仏が4体増えて35体になる可能性が示された。元は興福寺南円堂にあり、新たにできた中金堂に移された《四天王立像》が運慶作だという仮説である。
その段階では決定的なエビデンスは固まっていなかったが、東京国立博物館は平成館展示場の一部に「興福寺北円堂の仮説コーナー」を設え、本尊《弥勒如来坐像》は写真パネルだったが、その周囲に《無著・世親菩薩立像》と《四天王立像》を設置する試みをした。運慶が北円堂の仏像を制作した鎌倉時代初期の堂内を現出させようとしたのである。

その後2019.5.26、私は興福寺に行く機会を得て、新しい中金堂に入る事ができた。
10)ののち、2年経って仮説は一層強いものになった。
〈参〉レポート「奈良・京都の旅〜興福寺�◆�(2019.6.5記)
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1971782178&owner_id=3341406

たまたま同日夜の「NHKスペシャル」で『運慶と快慶 新発見!幻の傑作』が放送され、新中金堂《四天王立像》の科学的調査の結果が示された。
彫刻の木材料や、《興福寺曼荼羅》の解析その他から、《四天王立像》が運慶作である可能性は更に強まった。
〈参〉レポート「奈良・京都の旅/最終回〜京都国立博物館�◆�(2019.6.7記)
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1971804936&owner_id=3341406

四方を守護する神であって〇〇レンジャーではないから違和感がなくはないものの、敢て横並びにしてみると、左から〈持国天〉〈増長天〉〈広目天〉〈多聞天〉。
(時代と堂及び安置位置によって異なる名称で認知されていた事もあり、資料や本によって異なる場合があるので要注意。2017年の東京国立博物館「興福寺中金堂再建記念特別展」さえ、今回と違っている。)
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もはや運慶仏は11寺35体と言っていいのではなかろうか。
そして、私はその時点において、うち34体迄観た計算となったのである。残るは興福寺の本尊《弥勒如来座像》1体のみとなっていた。

同像は、実は、前掲の2017年展においては写真パネルだったが、今回の特別展「運慶 祈りの空間〜興福寺北円堂」では、ちょうど修理上がりのいいタイミングだったのである。普段、北円堂は非公開であるから。
結果として、私はこれで運慶仏35体を全部観る事ができたのである、16年をかけて。

運慶は当初この北円堂に9体の仏像を制作した記録が残されている。が、本尊《弥勒如来坐像》の脇侍であった《法苑林(ほうおんりん)菩薩坐像》と《大妙相(だいみょうそう)菩薩坐像》は失われてしまった。(*)
そのため、今ある限りで、運慶が鎌倉初期に意図した「祈りの空間」に最も近いものがここにできたのである。本展タイトルの由縁だ。
現在 興福寺北円堂に安置されている《四天王立像》は平安時代初期に作られた木心乾漆造りであり、脇侍も室町時代に後補されたもので、無論運慶作でない。

 (*)または「行方不明」と言うべきか?いつの日か、発見される可能性がなくはない。
  その時、運慶仏は37体になる。

この「祈りの空間」の雰囲気を、展覧会ホームページから借用した写真で眺めてみたい。会場は撮影不可だったので。
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1枚目、手前にあるのが《四天王立像》4体のうちの〈増長天〉。奥中央に本尊《弥勒如来坐像》とそのうしろに《無著・世親菩薩立像》が見える。7像全て国宝である。

2枚目、手前が《弥勒如来坐像》、うしろが《無著・世親菩薩立像》。

さて、この《四天王立像》が北円堂のために運慶が制作したものだとの証拠の一つになっている《興福寺曼荼羅図》(12~13世紀/京都国立博物館蔵)をここで見ておこう。
・全体図。
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・うち左上、北円堂部分のアップ。
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彩色は曼荼羅図も像本体も劣化が激しく素人には分かりにくいが、専門家によれば、色も姿形も本展の四天王立像にほぼ一致する由。(多聞天の色のみ特殊事情アリ。)(*)
曼荼羅には《無著・世親菩薩立像》もしっかり描き込まれているのが分かるだろうか?

 (*)四天王像は伝統的に守護する方角と肌の色が以下のように定められている。
  興福寺曼荼羅図もその通りになっている。

  持国天;東/緑
  増長天;南/赤
  広目天;西/白ないしは肌色
  多聞天;北/黒ないしは濃い青色(群青)

  但し、本展に展示されている四天王像では、多聞天が白色となっており、伝統と
  異なっている。他は伝統通り。これは当時の仏舎利信仰の大流行に原因がある。
  仏舎利は言う迄もなく白色であり、それを入れる宝塔も白色である。その宝塔を
  頭上に捧げ持っている多聞天の肌が黒色では奇妙なコントラストが効いてしまう。
  北円堂再建のための勧進状を起草するなど深く関与した僧 貞慶も篤い舎利信仰
  の持ち主で、多聞天の肌を白色にする事に強い支持があったと考えられる。
  (神奈川県立金沢文庫主任学芸員 瀬谷貴之の説)

また台座の形を見てみると、弥勒如来も四天王も似た八角形をしていて、これも大きなポイントとなる。(写真参照)
木材料が共に珍しいカツラである事は、リンクした過去のレポートで既に指摘している。

ただ、学問的な見地から最終確定とするには未だ不足があるのか、会場キャプションでも図録でも、《弥勒弥勒如来坐像》と《無著・世親菩薩立像》が運慶作になっているに対し、《四天王立像》の作者名は空白になっていた。


図録はB4サイズと大きく重そうだったため、ミュージアムショップでなく、事前にネット注文して自宅に送ってもらった。

本館では、同じチケットで「東博コレクション展」(平常展)も観る事ができたため、1階2階共、全室さっと歩いて回った。


〈参考資料〉
・図録『運慶 祈りの空間〜興福寺北円堂』
 執筆 児島大輔,西木政統 他
 発行 2025.9.9、読売新聞社
・図録『興福寺中金堂再建記念特別展 運慶』
 執筆 多川俊映(興福寺貫首),浅見龍介(東京国立博物館主任研究員) 他
 発行 2017.9.26、朝日新聞社,テレビ朝日
・月刊「芸術新潮」2017年10月号 特集『オールアバウト運慶』
 執筆 瀬谷貴之
 発行 2017.10.25、新潮社
・NHK-Eテレ「日曜美術館」『運慶最高傑作群〜興福寺北円堂』
 解説 森谷英俊(興福寺貫主),児島大輔(東京国立博物館保存修復室長),
    師茂樹(早稲田大学仏教学教授),横内裕人(京都府立大学日本中世史教授)

(続く)
 
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