『処女ゲバゲバ』の望遠鏡に見える乳房には、慈愛が表されていたのか。消えることなく、その有様として存在し続け、慈愛に痛みが感じられている。『聖母観音大菩薩』の八百比丘尼は悲しくはない、痛いだけです、と言うが、慈愛永劫に未来には痛みのみが残りゆくのである。長く生きるときっと、喜怒哀楽を通り越した感情、辛いものだらけが記憶に蓄積される。しかし、この世には痛みを抱え持つ者がたくさんいるのであり、彼等をこの世から排除することはできない。我々一人ひとりに、排除することができない者が割り当てられている。慈愛は自ずと我々が生きる世に芽生え続け、痛みを抱え込む。曝け出された裸体と性行為が、痛みを慈愛永劫に、あるがままに、そしてそれ故に、力強く表している。
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