『恋する惑星』
かつてはこの作品と『愛情萬歳』をイヤというほどみせられた。しかし、当時はあまり理解できなかった、というよりピンとこなかった。今回はカメラアイがラジオにハンドヘルドでスカッと近づくラストのショット、そこにおいてドッと感動する。
窃視するかのようにしながらも傍観しているミンリャンのテクストに比し、カーウァイにおいては眼と聴覚によるセンスはその志向性、テクストの織り成しを追ってゆく形で紡がれる。
レスリーチャンが『欲望の翼』に強烈に出会ったようにフェイウォンは『恋する惑星』に爽快に、そして夢見がちに邂逅する。ゴダールが彼のテクストで表したように、映画的引用をカーウァイは彼流に語らしおん。ギー・ドゥボールが批判するスペクタクルではないスペクタクル、モール街に溶け込む。夢の空間におけるファムファタール、キスキスバンバン、そしてボーイミーツガール。台湾のヨシナガサユリと称させられながら、その容姿をブロンドのウィグと赤いフレームのサングラスで覆いながらもブリジットリン、イメージをネガティヴに作用させるどころか、神秘性を寧ろミステリアスにアピールさせノワールの香港に艶やかに溶け込みゆく。それに呼応するようにフェイウォンが天然素材のような茶目っ気で美しさをアピールする。夢の空間はそれゆえに、テクニークを駆使しつつ、あるがままの姿から映画的に変貌をとげる。生成する愛の形。
第一部の相容れれることができないふたりのシニシズムはキネーネのようであり、それに続く第二部はカルフォルニアドリーミン、ほろ苦さを醸し出す。パイン缶に表される官能の甘さに、過去を忘れ〇〇を想起させる甘美の夢、そしてサンマ缶、見た目は同じでも中身は変わりゆく〇〇の愛の夢。愛と哀は同一線上で夢になる。
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