*『愛はステロイド』(Love Lies Bleeding 2024;ローズ・グラス)レンタルで観る。映画の黎明期、サイレント映画をバズらせたニッケルオデオン(5セントという安価で観客をひきつけた当時の映画館群の愛称)から映画の売りはKissKissBangBang、そう、お色気とヴァイオレンスがあれば観客がワンサカなのであるが、本作品はまさにKissKissBangBang、それをもっとも表しやすいクライム・サスペンスの形で、ルーとジャッキーの愛を成就させる。根底にあるのはふたりのゆるぎない愛、それゆえ本作品はラヴロマンスとしても成立する。
*最終盤はマーベル・コミック映画のようになったけれど、全体的にはローズ・グラスはイギリス人だからだろうか、同じ大陸のフランスはNew French Extremityのエグエログロ系の影響をうかがい見る。フランコ兄弟の弟でやられるデイヴは顔立ちが ジョー・パントリアーノに似てるからかウォシャウスキー姉妹は『バウンド』も想起させる。クリステン・スチュワートが奮闘するから『パニック・ルーム』も想起する。でもクリステン、上手いね。『パニック・ルーム』の後は、ヴァンパイアものが観れないから「トワイライト」シリーズは観れていないし、アサイヤスの『アクトレス〜女たちの舞台〜』と『パーソナル・ショッパー』は観たいながらにまだ未見なので、ローティーンの彼女以外はあまり知らないのであるが、素晴らしいアクトレスだな、となる(以前に動いている彼女ではアレンの『カフェ・ソサエティ』はある)。演技がナチュラルにして説得力がある。
*ラストはグロい夢見る夢見る乙女か。ふたりとも揺るぎないモンスターと化して本作品は幕を下ろす。街から出たことがないルーは外からやってきた新鮮な風であるジャッキーに恋をする。ジャッキーが母性をミッシングしていることが仄かに途中に表されたりもする。ジャッキーも遂にはトゥルーリー、ルーの愛を受け入れる。行きずりの恋ではなく本当の愛であることが本作を通して表され(ルーを通してかな?ジャッキーは仕事をもらうため平気であんなことしちゃう女性ではある)、それが作品に力強さを与えている。リーが姉を擁護し義兄と父をボロカスにしたりを含め、ただ単純にミサンドリーなだけなのでは?とも思えてくるが、でも、そういうヒトもいると思うので、そこらへんは眼をふさぐしかない。
PS
聖なる場所には女性を入れない供儀は、日本だけではなく世界にあるが、経血などが汚すとか言われたりするけれど、そうしたナンセンスもなくなりつつはあるけれど、ヴァイオレンスに産まれる血やジャッキーが吐いたときに出てくるリーを包み込んでいる粘液など、ローズ・グラスは女性であることの演出意図もあったのかな、と書き終えたとき作品を思い出しながら思った
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