79年に入ると国際プロレスは新日本プロレスとの提携路線に入りました。原進改め阿修羅・原の凱旋帰国シリーズとなった「新春パイオニア・シリーズ」は1月5日宮崎県高千穂町体育館から開幕しましたが初のこの年初の東京大会は1月21日、午後1時よりの後楽園ホール大会が。私はこの大会が国際プロレス初生観戦となりました。
メインイベントは国際プロレスvs新日本プロレス対抗戦、グレート草津&アニマル浜口組の保持するIWA世界タッグ王座に星野勘太郎&山本小鉄組のヤマハ・ブラザーズが挑戦しました。
王座チームの草津&浜口組は77年3月26日蔵前国技館でビッグ・ジョン・クイン&クルト・フォン・ヘス組を破りタイトル獲得、78年1月にはアファ・アノアイ&シカ・アノアイのザ・サモアンズ1&2号に敗れ一度は王座転落もシリーズ序盤戦の1月8日、大分県営体育館でアレックス・スミルノフ&ジ・アトミック(レオ・バーク)組の挑戦を受け、1−1から両チームリングアウトの引き分けで4度目のタイトル防衛を果たしていました。
1本目は15分23秒、浜口がエアプレーンスピン(飛行機投げ)から小鉄を体固め、2本目以降はヤマハの連携が冴え渡り、自軍コーナーに浜口を詰めたヤマハは交互にコーナーポスト最上段からのヒップドロップ、星野が決めて小鉄が浜口をフォール、7分46秒、体固めでヤマハが返しました。
決勝の3本目は小鉄が浜口をペンデュラム・バックブリーカーの体制で身体を固定。そこへ星野がコーナーポスト最上段からのフライング・ニードロップ。3分18秒、星野が浜口を体固めで破り、2−1で国際プロレスの看板ベルトが新日本プロレスに移動してしまいました。
また、この日ヤマハに同行した永源遙は、東京プロレス以来の因縁を持つ寺西勇とシングルマッチ30分1本勝負で対戦、12分11秒、寺西の後方回転エビ固めの前に敗れています
星野、小鉄共に新日本プロレスでは中堅で、小鉄は坂口征二との確執、営業資金を私的に流用した疑いなどで試合から干され、現役としてはセミリタイア状態であり、スポット参戦で試合に出ていたにも関わらず国際プロレスの看板タイトルがヤマハの手に渡りました。
吉原社長は悔しがるかと思いきや、「さすが、力道山に鍛えられたレスラーは違う」とヤマハを絶賛してしていましたから、もうこれは完全に新日本プロレスに取り込まれたと言えます。
シリーズ最終戦の1月29日茨城県勝田市(現在のひたちなか市)総合体育館ではマイティ井上が満を持して草津に変わって浜口と組んでヤマハに挑戦。この日時もヤマハのセコンドには永源が付きました。
草津は「ミスターIWA世界タッグ」として70年2月3日、広島県立体育館でサンダー杉山との「KSコンビ」でモンスター・ロシモフ(アンドレ・ザ・ジャイアント)&マイケル・ネイダー(ミッシェル・ナドール)組を破り、同王座を初戴冠して以来、ストロング小林、ラッシャー木村、井上、浜口とパートナーを変えて王座に君臨し続けていましたが今回の転落を機にタイトル戦線から撤退し9年ぶりに無冠となりました。
井上&浜口組は「和製ハイフライヤーズ」、「ナニワ・ブラザーズ」(2人共大阪のナニワ・ボディビルジム出身)全日本プロレスのグレート小鹿&大熊元司組の極道コンビを破ってアジア・タッグ王座を獲得したことのあるチームであり、気の強い井上は対抗戦向きかつ猪木嫌いで有名。吉原社長が自信を持って送り込んだチームでした。
試合は61分3本勝負。1本目、先発の井上が勢いよく攻めようとしたところ、星野に巧みに誘導されてヤマハのコーナーに捕まりました。星野、小鉄が交互にコーナーポスト最上段からのヒップドロップ、動きが止まった井上に小鉄が足4の字固め。
掛けた小鉄も掛けられた井上も互いに足が太くて短く、それこそ足に隙間がなくガッチリと決まってしまい、僅か2分39秒、小鉄が井上からギブアップを奪い王者組が先制しました。
2本目、足4の字のダメージから、コーナーでうずくまる井上に小鉄はレッグロック、レッグシザースと足を集中攻撃。井上はようやく浜口にタッチ、浜口は小鉄の腕を攻撃、ダブル・リストロックからキーロック、アームブリーカーからのアームロック。小鉄も星野に交代。
星野はドロップキック、ショルダータックルで反撃。井上と星野の相手をヘッドロックに捕らえての顔面への高速パンチ合戦は観客を大いに沸かせました。
井上は1本目のお返しとばかり小鉄の両足を捕らえると、フロント式のインディアン・デスロック。先程と同じ理屈でお互いに足が太くて短い為、ガッチリ入ったら小鉄は自力脱出はまず困難。星野がカットに入り小鉄はようやく脱出に成功。
井上はエルボーバットからブレーンバスター、仰向けに倒れた小鉄にサマーソルト・ドロップ。19分28秒、井上が小鉄を体固めで破り1−1…。
決勝の3本目、小鉄と浜口の攻防の際、星野がノータッチで入ってきて、2人がかりで浜口をロープに飛ばしてのクローズライン、試合権利のない星野が浜口をフォール。レフェリーの遠藤光男は気がつかずカウント3を入れてしまいました。
一度はヤマハの勝ちが宣せられましたが、リング下にいたサブレフェリーのマンモス鈴木が、「星野はノータッチで入って来ており、フォールは無効、試合は続行」とアピール。遠藤もミスジャッジを認め、試合再開を命じましたが小鉄がツカツカと遠藤の前にやってきていきなり張り手一発。
4分40秒、確信犯のレフェリー暴行による反則負けでヤマハが初防衛に成功しています。
リング下からラッシャー木村が抗議しましたが小鉄がツカツカと歩み寄っていきベルトをかざしながら「今度はお前が挑戦してこい」とアピール。
2月5日新宿・京王プラザホテルにて記者会見が行われ、二階堂進衆議院議員が新日本プロレスと国際プロレスの擁立する日本プロレスリング・コミッショナーに就任。両団体はコミッショナーの傘下団体に入ることになりましたが、誰の目に見ても新日本プロレス主導で事が運ばれていることは明らかでした。
井上&浜口組2度目のリターンマッチは2月23日新日本プロレスの千葉公園体育館で行なわれています。
ちなみに、この日テレビ朝日の「ワールドプロレスリング」生中継では「ゴング」編集長、竹内宏介氏が初のゲスト解説として放送席に座っています。
竹内氏は東京12チャンネル「国際プロレスアワー」、日本テレビ「全日本プロレス中継」のゲスト解説はしていましたが、テレ朝登場は初めて。兄貴分の桜井康雄氏がいたことから遠慮していたのかと思います。残念ながらこの時の竹内氏の解説は聞けずに終わりました。
試合前にリング下の横断幕が東京12チャンネル仕様に取り替えられ、2階席最前列に同局の「国際プロレスアワー」の放送席が設置され、この試合のみ東京12チャンネルが収録。(放送は2月25日)実況は杉浦滋男アナウンサー、解説は門馬忠雄(東京スポーツ)、菊池孝(フリーライター)、レフェリーは国際プロレスから遠藤光男。
1本目は11分54秒、浜口がヤマハに捕まり、自軍コーナーでの交互のヒップドロップから、小鉄がダイビング・ボディプレスを決めて体固め。2本目も引き続き浜口がヤマハの連携プレーに翻弄され、鉄柱にぶつけられ額から流血、そこを代わる代わる2人がかりで攻撃するヤマハ。5分6秒、ヤマハの反則負けが取られました。
決勝の3本目も浜口がヤマハに捕まる展開に。小鉄がとどめとばかり浜口をブレーンバスターに担ぎ上げました。するとレフェリーの死角をついた井上がリングインし、ガラ空き状態の小鉄の左脇腹めがけフライング・ショルダータックル、不意を突かれた小鉄は昏倒、すかさず浜口が覆いかぶさって1分21秒、体固め。
2本目が反則ながらも井上&浜口組が2−1で勝利しIWA世界タッグ王座を奪回、1か月ぶりに国際プロレスにベルトをもたらしたました。
ログインしてコメントを確認・投稿する