スワロウテイルと地獄でなぜ悪いを続けてみる、おもしろかった。続けて観ると、ミッキーカーティスがどちらでもダンディー好々爺やってて、強くは表されないでもコカインが愛を導くパワーとしてどちらでも表されている。X、Y、と続いてジェネレーションZのあとはゼットのあとなんもないぜよとなんと言ってのいいか分からないが、そこらにコカインがパワー導くとかいった内容は薦めれないけど、全体的に言ってること、その世代こそオススメのようなする内容の作品ではあった。
覚え書きその1
『スワロウテイル』
エンタウンを舞台にしたエンターテイメント活劇。
エンタウンの円泥棒たる盗賊たち=異国人:日本人が忘れたものをもっている?
少年心を抱いている主人公は、岩井テクストにおける山崎裕太や花とアリス、大人になったときの姿は見せることない柏原崇はもちろんのこと、FRIED DRAGON FISHやPiCNiCの浅野忠信、神谷隆之介と協調する福山雅治らと同じように、三上博史においても体現されている。彼の少年ぽさがオーディエンスを惹きつける。
アゲハが、というよりもグリコがアゲハチョウになるようなものと中盤まででは思われたが、最終的にはアゲハの自立に向かう儀礼通過が表されることにより、彼女の蝶が彼女自身の姿を表してくる。
岩井の手紙ものと同じように、アゲハは彼女の母性(或いは姉)的存在であるグリコの姿を憧れ的に追いながら(或いは、ただ無垢に見つめながら)、グリコを愛する男性に恋焦がれ、その男性が想う思い出を取り戻そうと奮闘する。
エンタウンで夢を果たせずに亡くなる母の姿がエスタブリッシュされるが、三上博史に果たせぬ夢は表されるかもしれないし(しかし彼の想う愛は遂には成就されるだろう)、江口洋介においてもラストショットの後にやがれ訪れるものに果たされなかったことの可能性があるかもしれない(しかし彼はもう成功をしているので、訪れるかもしれないものは継続の不可能性か)けれど、伊藤歩には、あまりにも希望的に見てしまうのは危険だけれど(それは岩井のテクスト性で見ればそうなるだろう)、少なくとも自立しこれから有るという生の姿そのものが表され、ポジティヴに捉えてもいいものが表されると言っていいのではないか。
初期の方では園にも通じるようなアクションやってた岩井は、やはり恋愛もののイメージが私的にはここんとこ強いけれど、でも胸キュン映画にならないのは、総体的に表されるのが胸キュンではないという理由もあるけれど、やはり園と同じように畸形的なものが作品あるいはテクスト性に立ち上がるからだと言えるのである。
『地獄でなぜ悪い Why don’t you play in hell?』
主役というかビリングのトップは國村隼は意外だったけれど、最後のピースもふくめとてもカッコよいキャラではある。
愛のむきだしで新しいゲシュタルトたるアクションに新境地を開拓させた坂口拓をアクターとして迎えアクション映画愛に充ちる殺陣で大暴れさせたり、虚構を露わとすることによって俺は園子温だ!と吐露したり、血糊の美学を徹底させたりと、まさにエロス、生=愛の剥き出しの作品である。
家族愛が希薄な時代に家族愛を希求することも園のひとつの特徴ならば、この作品にもそれは表さられている。三池作品ほどヤクザ男性同士の親子関係は濃くはなく寧ろ希薄であり個としての独立性が高いが、テレフォンブースの星野源の母親に言うケータイ無くしたから妻のために奔走する國村隼をはじめ、疑似家族に拡大するまえの本当の家族の絆へのフォーカスがすぁりげなくされる。
神格化されたものからの洗脳もまた園のひとつの特徴ならば、映画の神への信仰がそれを表し、全力歯ぎしりレッツゴーな少女アイドル信仰が発端としたカルトは、成長した二階堂ふみがキスキスバンバンにスクリーン狭しと暴れまわる姿に増幅され、星野や堤といった信奉者が融即され、長谷川ら映画バカも引き込み、我々もいまここでその体験空間、惹きこまれる。
セブンティーズ、エイティーズと大作を競い合った市川崑と深作欣二、、岩井俊二が市川のDNAを受け継ぐならば、園はこの作品で彼のダイレクトシネマ的手腕も示しつつ深作な仁義を刻印する。
個が個であることを尊重しつつもくっつき愛うることを地獄でなぜ悪いは語らしおん。勝新も萬屋もぶっとぶ熱い演技の応酬も語らしおん。
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