85年「熱風!サマー・アクション・ウォーズ」第29戦、7月30日、福岡スポーツセンター(テレビ収録、観衆5,700人発表)大会。長州力以下ジャパンプロレス参戦後、初の福岡の大会場での興行となりましたが満員マークはつかず。
メインイベントは馬場のPWFヘビー級王座にスタン・ハンセンが挑戦。両者の同タイトルを巡ってのこれまでの対戦は8戦して馬場の1フォール勝ち2反則勝ち1両者リン1両者反則1フォール負け1反則負け1ノーコンテストとほぼ互角。しかし47歳で限界説が再浮上していた馬場不利の声が多かったです。
試合は馬場がハンセンのラリアット封じとばかり左腕に的を絞って攻撃し優勢に出ましたが、徐々にハンセンも反撃。場外乱闘となり、場外でドロップキックを見舞ったハンセンが先にリングに上がり、エプロンに上がって来た馬場にロープ越しのバックドロップ。
すかさずフォールの体制に入りカウント3。13分50秒、ハンセンが体固めで文句のつけようのない完勝でタイトル獲得。第10代王者となりました。ハンセンは83年9月8日、千葉公園体育館で馬場を破って以来同王座2度目の戴冠。
敗れた馬場は72年10月の全日本プロレス旗揚げ時に10試合に亘る王座争覇戦を勝ち抜き73年3月16日に初代PWF(世界)ヘビー級王者に認定されて以来、初代(73年3月16日〜78年6月1日)38回、5代(79年2月10日〜82年10月26日)15回、7代(83年2月11日〜9月8日)3回、9代(84年7月31日〜85年7月30日)3回と通算59回の同王座防衛を果たして、前年返上したインターナショナル・タッグ王座とあわせて完全無冠となり、タイトル戦線から撤退となりました。
なお、馬場のPWFヘビー級王座通算防衛記録を60回としている文献もありますが、83年7月12日、札幌中島体育センターでのタイガー・ジェット・シン戦でのノーコンテストは試合そのものが無効ですから防衛記録から除外しています。(国際プロレスはノーコンテストも防衛記録の加算対象にしていた)
馬場は全日本プロレスの経営が悪化し、日本テレビから役員が出向してきて82年1月1日付で松根光雄元日本テレビ運動部長が社長に就任して以来、松根社長の鶴田、天龍を全面に押し出して馬場にはプロモーター業に注力してもらいたい、という方針に抵抗してきましたが、鶴田、天龍の成長、ジャパンプロレス参入、外国人メンバーの充実もあって、ようやく第一線を退くことを決意したそうです。
そして、その「引導を渡す」役目は自分が新日本プロレスから大枚はたいて引っ張ってきたハンセン以外にはいなかったということでした。
セミファイナルは全日本対ジャパン軍団抗争、天龍&石川敬士組と長州&アニマル浜口組が対戦、15分27秒、石川と浜口が両者リングアウトの引き分け。
セミ前に組まれたのは鶴田&大熊元司組vsハーリー・レイス&クラッシャー・ブラックウェル組の一戦。7分58秒、レイスが大熊をブレーンバスター(バーディカル・スープレックス)からの体固めで降しレイス&ブラックウェル組の勝利。
キラー・カーン&谷津嘉章組とテキサス・レッド&スティーブ・リーガル組は7分25秒、谷津がリーガルをジャーマン・スープレックスホールドでフォールしジャパン軍団に凱歌が上がっています。
全日本対国際血盟軍、マイティ井上&佐藤昭雄組とラッシャー木村&鶴見五郎組は11分46秒、R木村が佐藤をブルドッキング・ヘッドロックから体固めに決めて国際血盟軍の勝利。
「孤高のヒットマン」阿修羅・原は仲野信市を2分6秒、ヒットマン・ラリアットからの体固めで秒殺しています。
小林邦昭&寺西勇組とザ・デストロイヤー&ジプシー・ジョー組の試合は8分40秒、小林がジョーをフィッシャーマン・スープレックスホールド(網打ち式原爆固め)でフォールし小林&寺西組の快勝。
全日本対ジャパン、グレート小鹿&ハル薗田組vs栗栖正伸&新倉史裕組は10分3秒、小鹿が新倉をグラウンド・コブラツイストによるエビ固めでフォール勝ち。
全日本同士のロッキー羽田&渕正伸組と百田義浩&百田光雄組の百田兄弟の対戦は11分58秒、渕が光雄をバックドロップから体固め。ジャパン対国際血盟軍、保永昇男と高杉正彦のシングルマッチは8分56秒、保永が逆さ押さえ込みでフォール勝ち。大先輩を破っています。第1試合の全日本対ジャパン、ターザン後藤が笹崎伸司を9分34秒、ダイビング・ボディプレスからの体固めでフォール勝ちを収めています。
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