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2019年03月25日23:31

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ジャンボ鶴田怪物伝説(471)

84年グランド・チャンピオン・カーニバルPART�掘■祁�31日、蔵前国技館大会(観衆12,500人超満員発表)は全日本プロレスの蔵前国技館でのラスト興行となりました。

蔵前国技館は旧両国国技館が第二次世界対戦により統治され両国メモリアルホールとなり、日本橋浜町に仮設国技館を造って大相撲の本場所を開催していましたが、54年に新規オープン、同年2月19日〜21日の3日間にかけて行われた日本初のプロレス国際試合の会場としても使われました。

以来30年、幾多の名勝負が展開されてきた蔵前国技館ですが老朽化の為この年の秋場所を最後に閉館が決まっており、日本相撲協会は既に「相撲の聖地」両国に新国技館を着工中でした。(元の旧両国国技館のあった場所ではない)

ちなみに旧両国国技館のメモリアルホールはGHQが引き揚げた後、日大が買い付け、日大講堂となりました。全日本プロレスは旗揚げ以来、日大講堂を東京のメイン興行会場として使用してきました。これは全日本プロレスを放送する日本テレビがプロボクシング中継の為に日大側と包括使用契約を締結していた関係で同じ日本テレビ系列の全日本プロレスは通常の半額程度の会場使用料で借りることが出来た訳です。

日大講堂は蔵前国技館以前に建てられた建物で老朽化が進み、全日本プロレスの会場使用は77年3月11日、ザ・デストロイヤーvsミル・マスカラスのPWF認定USヘビー級選手権試合、ビル・ロビンソンvs鶴田のUNヘビー級選手権試合が最後。その後しばらくは解体されませんでしたが現在は両国シティコアというマンションになっています。

蔵前国技館はこの日が全日本プロレス、2日後の8月2日の新日本プロレスでプロレス興行は最後となる訳です。

また、この日の蔵前大会は「第2回難民義援金募集興行チャリティープロレス」の冠がつきました。難民義援金募集興行は過去全日本プロレスの興行で行われたと言う記憶はなく、やはりどう考えても82年4月21日、新日本プロレスの蔵前国技館大会(猪木vsジェシー・ベンチュラ、藤波vsアブドーラ・ザ・ブッチャー飛龍十番勝負第3戦、タイガーマスクvsブラック・タイガーWWFジュニア・ヘビー級選手権試合)に次ぐ第2回であると思われます。

誰がどういう目的で馬場にチャリティー興行をやることを薦めたかは不明ですが、新日本プロレス時代に多数の政治家をリングに上げていた新間寿が関与しているのはまあ間違いないところかと考えます。
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