『ラ・ラ・ランド』
ハナシを聴いた人たちからは酷評であったが、けっこうオモシロく思えた。けっこうエクスペリメンタルにも思えた。『バードマン』にしてもこれにしても、オスカーのノミネーションになる傾向をみると、オーディエンスのセンスは変化してきているのだろう。テイストの変化ではなく、まさに大衆のセンス、その変化である。
去年のこと、それまで以上にポールトーマスアンダーソンとトッドヘインズにオヤッ?とオモシロく思いはじめたことは、ジャックドゥミ、ジャックリヴェット、アニエスヴァルダへの志向も関係あるのかなと、PTAとヘインズのインタビューを読んだ時に思った。『パンチドランク・ラブ』も『キャロル』(或いは『エデンより彼方に』だったかな?)も色彩設計はヴィンセントミネリに依拠していたからである。フィルムの質感的にドゥミはミネリのようにテクニカラってないけれど、色彩感は影響を受けていると思える。そして、色彩およびテクニカラ感はPTAとヘインズは隔世遺伝的にミネリっている。
そして『ラ・ラ・ランド』の色彩そしてストーリー、とてもドゥミっている。違いはドゥミの場合は、出会い、別れ、すれ違いであるが、ラ・ラ・ランドは出会い、別れ、ファックユーである。アメリカ的に、欧羅巴的な夢、儚さはなくなり、もっとハッキリクッキリの主張をする。ラストもドゥミ的に“あのときをやりなおせるものなのなら”系であるが、ドゥミは儚さで終わっても、ラ・ラ・ランドはハリウッド的に“されどそれはそれとして、であり、、それはそれとしてハードボイルドに受け入れる”のである。ほろ苦くボイルドしている。
冒頭のあの長回しの渋滞を見ながら、ラ・ラ・ラのLAはロサンゼルスを表していたのかと理解する。
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