スコセッシアレンアルトマンにおいてその時代、見えないながらも見つけるべき方向性が希求されていた。しかしながら現在において、我々はメイヤスーが指し示すように、マテリアルワールドで相関されるモノでしかなくなっている。
即物と化した我々がいる社会がある。しかしながら、そうした社会においてさえも、ワイエス、ホッパー、オキーフから脈々と受け継がれる美と孤独は在る。
トッドヘインズは初期の作品から、時代に押し潰されそうになる閉塞感ある社会で、萌え萌えに燃え上がろうと沸々とした感情が表される。変わりようのない、なにがしら不寛容を孕む眼差しに曝される状況があり、そこには純粋無垢に行動する主人公がいる。その都市空間がぺスミスティックにならない理由は、毒があきらかに混入されているからである。当時における非健常者と思われている人々がその場所に取り入れているからなのではなく、毒は普遍的にあるエモーション、そのムーブが表されることによって自ら顕われるのである。ポールトーマスアンダーソンはホアキンフェニックスを起用した2作品において閉塞感から脱したいセンス表されど、彼のテクスト全てには慈愛と寛容をあらわすアメリカ映画の伝統的な態度があらわされ、されど、PTAには現在プレゼンスする若人のエナジーの迸り、と同時に、ノレないなかでの憤りが必ず表されるのである。
トッドヘインズとポールトーマスアンダーソンどちらにも、自由と疎外のマテリアルワールド、そして保守化してしまっている現代に向けた挑発が表される。
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