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2016年09月30日14:16

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超人凡人かかわりなくある形而上的な問い〜スピルバーグイーストウッド、フェリーニブニュエル〜


    形而上的な問いによって締めくくられるスコセッシとリンチと違う。或いは、同様にスピルバーグとイーストウッドもまた、そうした問いによって締めくくられるのかもしれない。しかし少なくとも、ポップコーンとペプシに満足するように、オーディエンスはスピルバーグとイーストウッドのテクストには気を晴れ晴れとした爽快感をもって劇場を後にするだろう。
  フロンティアを駆け巡ったというDNAを持たないから分からないのだけれど、トランセンデンタリズム的にスピルバーグとイーストウッド、無限の空間における無限の存在者というアメリカンが満足する体現を行う。無限の空間における無限の存在者。それはよく言えば、大陸的なおおらかさであり、悪く言えば、スーパー勘違いに思えるが、そのことはとても神秘的なアメリカンドリームであり、アメリカンがとてもサティスファクションするモメントが融即されるはずなのである。マーベルやDC系の超人が受けるのが分かる。
   日曜に競輪競馬に行くという習慣がないのと同じように、私には日曜日に教会に行くという習慣がない。というか、私はカソリックでもプロテスタントでもない。だから、神との契約社会に生きるヨーロピアンのフィーリングが分からないし、神の声を聴けないことで悩まない。そうした社会に生きる人々のラテンの血が騒ぐぜ的な悩みは、フェリーニとブニュエルには表わされる。ふたりともラテンなので、陽気に悩んでいる。そうした環境を表わしながらも、ふたりは映画をつくっているのであり、映画作家よろしく、宗教的人間を表わすのではなく、普遍性ゆたかな、ドグマに囚われることなきヒューマンビーイングを写し取っている。ヨーロピアの映画祭であるけれど、宗教に根差した人間だけを人間と見るのではなく、パルムドールは『甘い生活』にも『ビリディアナ』にも贈られている。そして教会を怒らせた。映画はシステムの外にある。少なくとも、そうあるべきである。そうした形而上的な問いが、アメリカヨーロッパ問わずに、つねに話題となるのである。

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