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2016年09月03日13:38

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我等の生涯の最良の年



  個人のイシューとしての“第二次大戦”そしてトラウマに志向してしまう。ヒトはナショナリズムに生きているのでは勿論ないし、個人として生きているものである。『我等の生涯の最良の年』は今回、そうした感覚を持たせてもらった。
  アルの息子の方が原子力の威力を認識している。アルは呆れるようであり感心するようであり、そうした表情をする。アルは戦場にいるときには従事していることで一杯一杯なのであり、戦争が起こした現代社会を分析するなどの余裕などなかったのである。ヒトとは誰しも、状況のなかではそうしたものであるはずだ。
   フレッドが働くドラッグストアのカフェのシークエンス、新聞を読んでいた男がホーマーに向かって、オリバーストーンのようにアメリカ分析を語るシーン、すなわち、ジャップとナチスはイギリスとソ連に戦争をしかけたのであり、ワシントンはわざと大戦に巻き込まれ利益を得ることに乗じた、そのことに怒りを持てというところにおいて、ホーマーはその男に向かって、死んだ400人の戦友はどうなるんだ、うかばれないと怒り、ふたりがもみ合いとなった後フレッドがホーマーの助けに入り男を殴る(殴られ吹っ飛んだ男は、ショーケースに当たり、粉々にショーケースは壊れてしまう。殴られ吹っ飛び窓ガラスなんかが割れてしまうことは、イーストウッドにも多く表わされるけれど、アメリカ映画定番のアクション・シーンである)。
   誰しもやってきたばかりの物事を相対化することはできない。心情がそこにあるからである。過ちが仮にそこにあったとしても、是非が考えられることにより、物事と状況の距離がまた生まれてくる。ヒトはその状況各々にいるなかで、そこまで賢くはない。ヒトはその状況を精一杯生きている。それが間違いを起こすというのは愚問であり、ヒトは目の前にある世界に純粋に生きている。それが生きているということである。



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