ヒグマ春夫の映像パラダイムシフトVol.75
伊藤哲哉の朗々と響く声、その朗読はホールに響く。方丈記は省みのファンタジー、それはその無常の世での返り身を示す。不条理を語りながらも、その空間を宇宙とし無常を笑い飛ばしている。ヒグマの映像はそれをまた現在の記憶として顧みさせる。現状を語るものとしてギャップが有る。ヒグマと伊藤が同時に、別のアングルから現状のギャップを生んでゆくのである。小松睦は紡ぐ者としているのではなく、身体に亀裂走るひとりのヒトとして、その場でその身体を表わしている。日常の内と外を活性化させる。日常は実はそうやって、その姿を表しているのだ。
ヒグマが日常に潜む巡礼を写し出す。亀や朽ちた魚、そして九十九里浜からの巡礼は、記憶や未だ変わりえぬ世の不思議に運命なるものを実像として提示し、そして同時に、それを空間の奥につれて回る。闇は旅を写すもの、、抗い。奥行きにあるものは伊藤によって肉体化されたひとりの僧、そして亀裂を帯びた小松によって表わされる人という名の我々。映像の外縁にある黒は、巡礼に映し出される連なりに等しい。
我々は泣くことを止める前に、無常を創り直さなければならない。抗いをやめることなく生きていることが、我々だと言うことをあの空間を朗々と歌うのである。
ヒグマ春夫の映像パラダイムシフトVol.75
鴨長明の方丈記「ゆく川の流れ」を俳優の伊藤哲哉の朗読とヒグマ春夫の映像インスタレーションとのコラボレーション
ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。・・・
ゲスト・伊藤哲哉 (俳優)
日時:2016年2月29日(月)
会場:キッド・アイラック・アート・ホール
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