『女子ーズ』(2014)
オモシロかった。カワイコちゃん5人だったからみれたのかもしれない。これが伊藤英明さん、坂口憲二さん、菅田俊さん、渡辺哲さん、チェ・ホンマンさんの5人だったら観てなかったのかもしれない。実写のガッチャマン、冒頭の方は引き込まれたけれど後はよう分からんやったんだけれど、グリーンバックの前で演技して関係者試写をみたらアクター陣、特に最終盤だけれど、キャラの感情とスクリーンで目の前に行われている出来事との乖離に戸惑いを隠せなかったのではと思えるんだけれど、『女子—ズ』の小劇場的なノリは衝撃的にアクターの役者の能力を現前させているからアクター陣からしても充実感あったのではないか。シンプルなカドラージュ、デクパージュ、モンタージュによって構築されたImageとカラスのカーカーといった鳴き声や効果音、怪人の声、BGMと、サウンド・モンタージュのSon、そんなソニマージュでアクターは生そのものを表すのコント。ホントのVoiceをゆるゆる空間であらわす。なんとかレンジャーをパロってるだけでなく、知らない空間に連れていかれそれぞれ知らない者同士が共同で体験空間しちゃうホラー、もちろんそれはテラスハウスのことを言っているのではなく、『ソウ』とかそんなやつ、或いは『LIAR GAME』とか『バトル・ロワイアル』とかそんなの、そう、そうしたもののパロもあらわされているのである。エスタブリッシュ・シークエンスで知らない場所にいざなわれる(劇場にいるワレワレ観客もまた暗闇の中いざなわれている)んだけれど、カノジョたち主人公が行く場所は非日常空間なのではなく、女子’sの日常的ゆるゆる空間である。我々も体験している現実に在る今此処である。怪人たちも女子—ズも東京に入ることなく、戦闘モノお得意のどっかの山で戦っていて、そうした非日常空間も含め、それと境界線曖昧な日常に、我々は普通にゆるゆるに生きている。当然だけれど劇場で観たらもっとオモシロかったと思わせる空間であり、2があったら劇場で観ることにしよう。
アゲイン!ゆるゆるはストレス多い現実社会からの解放というより、客観的にみれば日常的に我々(特に、女子だろうけれど)がいつもいる経験空間があらわされているのであり、勇者ヨシヒコなんかで表されていた小劇場的なノリとツッコミとダラダラ会話の映像化はホントのとこ苦手なんだけど(劇場で暗闇のなか皆で観るときっと笑ってしまうのだろう)、福田雄一はきっとそのことを教えてくれるのだろう。ストーリー的には15日も過ぎたら、どんな話だったかと尋ねられても、どんなだったっけ?って忘れてしまうように予想されるぐらいユルユルなんだけれど、ゆるゆるな日常を記憶として想起させるテクストとして福田のテクストはオモシロかったのではなかろうか。耐え忍ぶときもあるが、それもまた日常、、ところで、おしんの話にもとに戻すが、
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