*『エイス・グレード 世界でいちばんクールな私へ』(Eighth Grade 2018;ボー・バーナム)レンタルで観る。『aftersun/アフターサン』と『パスト ライブス/再会』についてここで書いたけれど、それは必然的にこれらの作品よかったよという紹介にもなるけれど、アラウンド・トゥエンティーズの子たちも読んでくれているとは思うけれど、これら2つの作品は20代終盤か30代、或いは40代ぐらいになったヒトの方がグッとくるのではないかな、と載せたあとに思えてきた、映画で描かれているような体験と同じ体験がなくとも、それなりになにか体験しているし遠い過去にもなっているし、でかつてを省みるというなかでなにかエモーションが生まれ、そういった世代の方がより感動するであろう、と想ったりするも、本作品はとっくに大人になってしまっている私としてはあまりにも遠い過去の出来事だからかいまひとつピンとこないものがあり。
*そうは言いつつも、最終盤にモールから帰ってきて主人公が部屋にひきこもるのはなんだか分かるように思える。まだ14才ゆえに、クルマのなかでの出来事がトラウマになるような経験であるばかりではなく、自身の経験値を高く見せたり承認欲求で隠れて見えなくなっている自身の在り方、そうした不器用さ弱さを感じたりいろんな意味合いでふがいなさがあったり、それにその年齢は感受性が高いゆえに、いろんなものも重くのしかかり重なり、それゆえひきこもるのだろうな、となる。
*等身大の自身を掴むまで、それもなんとなくではあるが、そういったプロセスが牛歩みたいにゆっくりだけれど表されている観。人生そうそうシネマのようにドラマティックに走馬灯のように展開されるわけではなく、そんな描き方、それでもアメリカ映画らしさは忘れずな感覚での描き方、よかったかも。イタい系女子を描いた映画2本どっちも終盤ほとんど記憶がないのだけれど、『ウェルカム・ドールハウス』でトッド・ソロンズはアンチ・ハリウッドの立場からか、ハリウッド青春映画のようにご都合主義でハッピーエンドまでの物事なんか人生には起こらないよとばかりに不幸のズンドコ、でもあれだけ不幸が続き救いようのないラストもあったりと逆にアンチ・ハリウッドとしてのご都合主義にも思えたり、『スウィート17モンスター』では逆に主人公がラストには悟ることがハリウッド的な救済に思えたりと、それに比すれば本作、ほとんどなにも起こらない(けど主人公本人からすればたくさんのことが起こっている)ことが日常に近いセンスで、それはそれでおもろいかも。
*さすがアメリカ、ライフル持った銃撃犯が中学校に乱入したときの対処法の訓練をするのは、なるほどな、となる、そんなことが身近な日常に隣接されている。
PS
ハーモニーコリンは『スプリング・ブレイカーズ』はけっこう興行収入よかったらしくA24の最初のヒット作品になったようであるが、そこで多く表されるネオン色がその後のA24作品の特色の一つになったらしいが、そうした配色もあるからかA24、なにか人工的なプラスティック観を有しているように見えてくる。また本作、監督のボー・バーナムがスタンダップコメディアンだからか、或いはコンテンポラリーペーポーがデジタルネイティヴで感覚がネット世界の住人にもはや変わり果てているからか、妄想も現実もいっしょくたなミクスチャーが本作に表されるけれど、それは『ボーはおそれている』と『スイス・アーミー・マン』もまた同じだと思える。アルゴリズムに踊らされているドパガキどもは境界線なきリア充を脳内感覚しているのかな。想像力的ノエシスがメタリックな輝きとしてエモーションに表される観がA24の作品たちにリプレゼントされているように思える。それは『aftersun/アフターサン』と『パストライヴス 再会』にも言えるのではなかろうか。
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