*『aftersun/アフターサン』(Aftersun 2022;シャーロット・ウェルズ)レンタルで観る。物語ではなく感覚だ。窓の向こう、バルコニーでタバコを吸いながら踊る父の姿にかかる娘の吐息。寝ていると眠る間際の中間、踊る父は彼女の想像かもしれないし、或いはじっさいに見ているのかもしれない。見ているとしての伏線としてすぐ前にあったロビーのソファに座っている彼女は他のことをしてるのに寝ていたふりを微かにするように、吐息をしながらも父を見ているのかもしれないのである。次のシークエンス、寝ている父を眼をくっきり開けて見ている娘のショットが表される。兄と妹に間違われる父と娘のひと夏が表される。
*まだ11歳の彼女、その視点ゆえ、ショットは狭い。視座をまだ若いゆえ広げれずにいる、そうした少女の視点が本作品を構成する。父と過ごした或る夏のハナシ。それは過去に遡る記憶として構成されてもいる。現在のソフィも表される。でも、見たときの記憶は11歳のころのもの、それゆえ視座はまだ狭い。父の泣いている姿も想像だろうけれど、小さな彼女はしっかりと父の哀しみを感じとっていた。同じ年頃のことキスをしてからやや広い空間に転じる。彼女のひと夏の経験もまたそこには表される。
*それにしてもスイスアーミーマンにしてもボーはおそれているにしても本作品においても、アメリカ人は孤独にさいなまれているのだな。ヒトと一緒にいても哀しさが顕れる。クイーンとボウイのデュエットかな、現在の時代は愛が喪失されていると歌っている。愛の尊さを歌っている。
*このような抽象的なセンスがアメリカでウケるとはちょいと驚く。はっきり意味を求めるアメリカ人がこうしたセンスを受け入れている。でも、MVも父の代からあるようなZ世代、それにティックトックやインスタのなう、こうしたショートカットにしてアブストラクトなものは身体感覚としてあるのだな。スイスアーミーマンやボーはおそれているにしてもそうしたセンスが表されている。
*未見でずっと気になっているケリー・ライカート(どれも観たいけれど『ウェンディ&ルーシー』を最初に観たい。KBCシネマでライカートの特集があっていたけれどどれも見逃す)とショーン・ベイカー(どれも観たいけれどKBCシネマであっていて見逃してしまった『レッド・ロケット』を最初に観たい。)よりも先に、彼女たちよりひと世代あとのシャーロット・ウェルズやセリーヌ・ソンを観ることとなる。
ログインしてコメントを確認・投稿する