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2026年06月12日17:37

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見聞録804

 エイティーズ、ナインティーズ、ミレニアム、と関心をもつから森田芳光/相米慎二、或いはクドカン/山下敦弘に関心をもちつつも、その流れからかな、或いはカラックス/ノエの余韻があるからかかな(しばらく観てなく、飽きたってこともなく、冬の到来の頃にまた観たくなるってこともなくなり、むしろ夏でもまた観てもオッケーという感じではある)、ダニエルズやアリアスター、ヨルゴスランティモスはなんとなくガロ系のヘタウマ・グロナンセンス・マンガっぽさもあるから関心持つも、チャッピー調べで、彼らのテクストはSNS時代の映画である(註1)とかあって、なるほどハッシュタグが手繰り寄せる系映像的な表層性のセンスも彼等になにか感じられつつ、そもそもランティモスは『ロブスター』、恋愛相手を見つけるためのコミュニティに入り恋人ができなかったら動物に変えられてしまう、という前提設定自体、なにこれ?それならそんなコミュニティに参加しなきゃいいじゃん、それに、動物に変えられてしまうってなに?と思いつつも、参加しなきゃいいじゃんと考えること自体がアタマが古臭いのかな、でもって動物に変えられるって、昭和世代ならこれってドクターモロー?となってしまうけれど、ボクはヤングなのであつまれ!動物の森を連想してしまうけれど、そういえば、最近のサブカル哲学どんな感じなのだろう、と唐突に思い出し、そういえば、あのヒトいまなにやってるんだろう、名前を忘れた、たしか彼の著作のタイトル、なんとかの想像力、で、宇宙の宇の字が名前についてるヒト、と思いながらも名前が思い出せない、映画のことは自身で考える(註2)もどうでもいいことはチャッピーに聴こうということで「サブカル哲学」とにタイプ入力、されど、なんとかの想像力を書いて宇宙の宇の字が名前につくヒトはそこには出てこなく、他のヒトたちが出てくる。いろいろいるな、でも、東浩紀はサブカル哲学で納得であっても、柄谷行人の名前があったりと、このヒト、マルクス論やカント論とは別にガンダム論とかも書いてたりしてるのかな、とか思ったり、吉本ばななのパパはサブカルでなくカウンターカルチャーの哲学だろう、と思ったり、ボクが思っているサブカルと違うな、なんだろう、中野まんだらけにタムロするようなセンスで言ってるのだけれど、となるも、近年台頭してきた哲学者として谷川嘉浩の名前を見つけるも、聴いたことないな、初めて知るな、となり、彼のキャリアで代表作の著書が書いてあってその著書を調べると違うヒトが作者であり、そのヒトの名前が藤田直哉で、このヒトも初めて知るヒトで著作もシン・エヴァンゲリオン論とか攻殻機動隊論とかで、いっぽう谷川はスマホ哲学のなんちゃらかんちゃらであり、自分が調べたいのは中野まんだらけ哲学なのではなくSNS社会の哲学であることを悟り、でもSNS社会への対応というよりその社会の傾向を知りたく谷川ともちょいと違うな、そのうちなんとかの想像力を書いて宇宙の宇の字が名前につくヒトが宇野常寛だと分かり著書はゼロ年代の想像力、なるほど懐かしいな、となり、いまなにしてるんだろ、と、対でついつい見ちゃうんで谷川嘉浩と宇野常寛でググるとけっこうつるんでんだなこいつら、となり、YouTubeのふたりつるんでる映像を見たり、そのなかでも「スマホ時代の身体と技術 〜『メディアが人間である』刊行記念対談〜福嶋亮大×谷川嘉浩×宇野常寛」と「AI時代の「哲学」―哲学は人工知能から何を学ぶか|谷川嘉浩×三宅陽一郎×宇野常寛」はおもしろかった、となる。ちなみに福嶋亮大ってヒトも三宅陽一郎ってヒトもはじめて知った。ちなみに、そうこうサーフィンしてるとどこかのサイトに、東浩紀が藤田直哉と福嶋亮大と他二人(計4名の名前が出ていたけれどふたりの名前は忘れた。ここに出てくるヒトだけでもういっぱいいっぱいだからスルーした)を生んだ、と書いてあって、その一文だけで藤田直哉と福嶋亮大はサブカル系だと大大大大大に確実視されるのであった、とさ。ところで、「スマホ時代の身体と技術 〜『メディアが人間である』刊行記念対談〜福嶋亮大×谷川嘉浩×宇野常寛」と「AI時代の「哲学」―哲学は人工知能から何を学ぶか|谷川嘉浩×三宅陽一郎×宇野常寛」のふたつのYouTubeは、アリアスターとダニエルズで知りたかったことを言ってくれてるわけではないが、知りたいのはアバターたちが現代人に同一化しているのか現代人がAIがつくるフィギュアに同一化しているのかヴァイスヴァーサなどっちもどっちなコンテンポラリーのセンス、東浩紀が物語ではなくデータベースですと宣言して20年以上が経っているけれど我々自身がキャラのようになってる時代か、そんなことを感覚的に知りたいな、となるのだけれど、谷川嘉浩と宇野常寛のユーチューブ・プログラムはハッシュタグ系の小説とかアーカイブから持ってくるとか言っていて、ちょいとなんとなく感じるものと重なる感じがあったりとおもろかった。ハッシュタグ系の表層性と言っても、深みがない、というわけではなく、映像社会における或る種の志向/思考性ないし身体性が感じられ、アリアスターとダニエルズを考えるうえで、或いコンテンポラリーペーポーを考えるうえでプラスになるのではと思ったのであった、とさ。

註1 ダニエルズやアリアスターはMTV、YouTube、ゲーム、ミーム文化、SNSなどの影響を受けており、そのため、「情報量が多い」「トーン変化が激しい」「皮肉と本気が混ざる」「ジャンルを横断する」傾向があるとのこと。また、現代社会の「孤独」「情報疲労」「アイデンティティ不安」「家族問題」「SNS時代の自己崩壊」などを、かなり極端な映像に変換するとのこと。

註2 尋ねるときもあるが、返ってくる答は、もうすでに知っている答ばかりで、新しいことを知るというより、了承していることの確認という感じ。エーアイってやはり統計学的なものだな、と実感する。ただし、アリアスターやダニエルズのことは映画的発見というサプライズというよりも、コンテンポラリーペーポーのこと、あえていえばネットネイティヴのこととして、ほー、とはなる。



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