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2026年01月14日07:14

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週プロ流智美あの日あの時予想2025年総括(8)

第379戦、2月26日発売号●【予想】初来日のレイスが生傷男と組んでBI砲に挑戦、インターナショナル・タッグ選手権試合、ジャイアント馬場&アントニオ猪木組vsディック・ザ・ブルーザー&ハーリー・レイス組(68年日本プロレス大阪府立体育会館)【正解】挑戦表明に塩対応で応じた馬場が“名勝負実現の功労者”に、猪木、ストロング小林の挑戦を受諾(74年2月25日、南青山 新日本プロレス事務所)

【参考】2020年2月26日発売号は●【予想】世紀の理不尽判定、ラッシャー木村、馬場戦での不可解なリングアウト負けにテレビ放送席でアピール(78年国際プロレス後楽園ホール)【正解】ボディビルの日本王者がレフェリーに転向!遠藤光男レフェリー、リング上にて国際プロレス入団挨拶(同日同所)※2014年2月26日発売号は馬場への挑戦権を与えられぬレイスのうっ憤が爆発!アジア・タッグ選手権試合、坂口征二&吉村道明組vsハーリー・レイス&スプートニク・モンロー(72年日本プロレス大阪府立体育会館)

【予想解説】68年は1月3日にTBSの放映が開始された国際プロレスとの興行戦争、「隅田川決戦」(日本プロレスは午後1時30分より蔵前国技館で馬場vsクラッシャー・リソワスキーのインターナショナル選手権試合、国際プロレスは午後5時30分よりルー・テーズvsグレート草津のTWWA世界ヘビー級選手権試合をメインに興行戦争を展開、日本プロレスは日本テレビで当日午後5時30分からディレイ中継を行い、国際プロレスの出鼻を挫く作戦に出た)に圧勝した日本プロレスは1月6&7日の両日、大阪府立体育会館で2連戦を行いました。

7日の大会で馬場はカーチス・イヤウケアを破りインターナショナル王座19度目の防衛に成功、猪木は吉村道明と組んでクラッシャー&ケン・ホリス組を2−1で破っています。翌8日は広島県立体育館大会でしたが、猪木は所用の為、日本プロレスの巡業から1人離れ7日の大阪大会が終わると帰京。

翌8日の午後の便で猪木は広島入りする予定で、メインイベントで馬場と組んでクラッシャー&Bミラー組とインターナショナル・タッグ王座の防衛戦を行うことになっていましたが大雪の為に広島空港に着陸することが出来ず、試合に間に合わないという事態になりました。

日本プロレスでは急遽、この日のメインのカードを変更、馬場&吉村組vsクラッシャー&Bミラー組によるインターナショナル・タッグ王座決定戦にカードが変更されました。1本目は4分36秒にミラーが吉村を体固め、2本目は9分27秒に馬場がミラーを体固め。3本目は6分13秒に両チームリングアウトとなり1−1の引き分けで王座は空位のまま。

9日の松山・愛媛県民館大会で日本プロレス勢と合流した猪木は馬場達に詫びを入れましたが、この猪木の単独行動は多くの非難を浴びました。この時の猪木の帰京理由は当時非公表とされていた(プロレス&ボクシング誌には掲載されていた)ダイアナ夫人が精神的に病んでいたことによるものとされています。

今の時代なら家族の病気により試合を休むことは特別視される問題でもないですが、53年前はプロレスラーという商売は「親の死に目にも会えない」商売というのが一般的な考え方でした。

猪木が会場入り出来ないと聞いた時、馬場のパートナーには猪木を非難した大木金太郎が真っ先に名乗りを上げ、ベルトを獲る気満々でしたが、マッチメーカーをしていた吉村が大木をなだめ、いい仕事をしてドローに持ち込んだおかげで猪木は救われ、2月3日の大田区体育館で馬場と組んで王座決定戦に出場、クラッシャー&ミラー組を2−1で破り、王座返り咲きを果たすことが出来ました。

王座返り咲きを果たしたBI砲の初防衛戦となったのはディック・ザ・ブルーザー&ハーリー・レイスの強豪コンビ、レイスはこの時初来日で25歳、猪木と同年齢でした。

試合は2月26日大阪府立体育会館で行われ、1本目は13分14秒、日本組の反則勝ち、2本目は1分56秒、ブルーザーが馬場を体固め、決勝の3本目は6分10秒、馬場がレイスを逆片エビ固めでギブアップさせて2−1で馬場&猪木組が初防衛に

【正解解説】国際プロレス退団を表明し、フリー宣言したストロング小林は馬場と猪木に内容証明郵便で挑戦状を送付、2月25日猪木がこれを受諾したことを発表しました。

一方、同じ2月25日小林から全日本プロレス事務所宛に対戦要望書が届きましたが、この時点で全日本プロレスと協力関係にある国際プロレスが小林の退団を認めておらず、2月27日下関市体育館に集まった記者に対し馬場は「もし小林が会いに来ればどんな話になるかわからないが、今のところは無視、黙殺するしかない。」とコメント。

猪木が小林の挑戦を受諾したことが発表されると「本人の決意が固いから止められない」としていた吉原社長は小林と交わした契約書を盾に取り、「契約期間は1年となっているが、これは期限の定めはない。契約は1年毎に自動更新される性質のものであり、契約を解除するには小林は違約金1,000万円を支払わねばならない。」と反撃に転じました。

こちらの件は「月刊プロレス」74年4月号で当時の同誌編集長である藤沢久隆が吉原社長の言い分を取材。06年にベースボールマガジン社から発売された「ザ・レトロマニア」に当時の藤沢編集長とライバル誌だった「ゴング」の竹内宏介編集長の奇跡の対談が掲載されていますが、その中で藤沢編集長が吉原社長の言い分を聞いて「これは業界の秩序を乱す大変な事件になる」と青梅市小作にある小林の実家を訪ね、小林を説得にあたったエピソードが語られています。

藤沢は「小林にね、これは大変なことなんだよ、これだけの大金、自分が払うか、そうじゃなければ誰かに肩代わりしてもらわないといけないんだよ、人に迷惑かけちゃダメだよと言ったら小林は『いや、そんなものは大したことないんだ』と言ってたな」と当時を振り返っています。

奇跡の対談というのはこの翌年、藤沢氏は62歳の若さで死去、竹内氏はこの年の暮れに脳梗塞で倒れ闘病生活に入ったからです。(12年5月3日、65歳で死去)

竹内氏はいわゆる「プロレス村」の住人でしたのでこのようなトラブルは慣れており、新間寿、東京スポーツの桜井康雄氏ともツーカーの仲で、大事にはならないことはわかっていましたが、ベースボールマガジンから人事異動で「月刊プロレス」編集長になった藤沢氏は野球の世界で「契約書の重要性」を認識していたことから、小林を心配しての行動だった訳です。逆に「ゴング」では猪木vs小林戦を煽りまくっていました。

※対戦成績は379戦60勝319敗、勝率158。
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