mixiユーザー(id:2566286)

2025年08月29日16:22

44 view

薬師丸ひろ子映画祭��


薬師丸ひろ子映画祭��
『ねらわれた学園』である。ワタシでも観れるぜんぜん怖くないホラー映画『HOUSE ハウス』(註1)にも似たセンスを、2.3年ほど前に初めて観たときに感じたような記憶であるが、それは、登場人物たちが織り成す出来事に感情移入するドラマ空間、というよりは、鈴木清順のめくるめく紙芝居絵巻物を感覚するようなものに近いもの、だけれど今回は、薬師丸が体現化する主人公の愛おしさや戸惑いに感情移入を託しているな、なるほど、アイドル映画なのだな、と視て聴き感じるものとなる。薬師丸ひろ子も前に観たときは顔が真ん丸な女の子の印象だけだったという記憶であるが、今回はなにかプリチーな感覚が芽生える。例えば、オープニングクレディットのところ最後の方、風車が回り喜ぶ赤ちゃんを確認するあたりの表情や仕草が感受する具合の素敵さ、いいな、となる。演出の説明を受けやってるにしてもアクターによって表すもの千差万別、そうしたなかでの彼女の輝きを感じる。あらすじおおまかに言うと、母性の愛が専制政治社会となりそうな出来事から世界を救う、というものであろう。大林亘彦らしく映像遊びが満載、観ていてそれが愉し、だけれど、主人公のエモに沿ったそれとして表されるのである。白黒映像からカラーへのヴァイスヴァーサ、その移り変わりが少女の喜びと不安を表出する。大林の映像トリック、その他もまた玉手箱のような映像体験、それらはめくりめく紙芝居絵巻のリズムを生み出している(そういえば大林お得意のジャンプカット、本作にあったかな?)。今回はカット割りに目がいく。水道水を飲む主人公のくちびる、その水道蛇口を取り合う男子生徒たち、でもやらしさはなく、水を飲む主人公のくちびるはトリュフォーの『あこがれ』にも似た新鮮なときめきと初恋の初々しさ、それは頭の中がいつも乙女している大林亘彦だからこそのきらめきなんだな、となる。また、そんなオマージュ的なものだけではなく、現在の精神もちゃんと表される。歌い踊る高校生はミュージカルへのオマージュだけではなく、原宿をポップアップ大イヴェントする竹の子族という当時のツァイトガイストが表されているだろうし、ユーミンというニューミュージックの導入は神田川や拓郎の生活臭を消し去りポプコンをさらに刷新しているだろうし、薬師丸ひろ子が纏うセーラー服は受験戦争という時代を表すと同時にそれへのアンティテーゼを表すと同時に、後のヲタクを導く材料ともなり、それらニューミュージックとセーラー服は一億人総ハクチ化を代弁するマテリアルとなる、といった過激な発言をしてもいいのか、と気になるが、そうした時代精神をその時代らしく孕んでいる。時は昭和後期、政治の言葉は完全に消え去り、なにが前衛でなにが後衛かが分からない、というよりそんなの関係ない、そんなオール★雑踏★ジャズな時代のはじまりはじまり、サブカルへと向かう時代の初期衝動なエイティーズなのであるな、となる。ところで薬師丸ひろ子は聖子ちゃんカットをしているな。彼女もまた時代に抗えないのである。登場人物たちの朴訥な喋りはやはり大林ワールドらしくあり少女だけではなくそこにあらわされるアオハルを輝かせるし、オフビートな動きする剣道試合もまたそのワールドのリズムづくりに貢献し、奇妙な宇宙人や宗教団体のような塾はその時代らしくポップアートっているし、8mmインディーズの延長線のようなフィルム遊びは商業映画観を斬新にさせるし、そうだからこそ、そこに立脚するプリンセスひろ子を輝かせるものとして在る。と同時に、彼女がいるからこそそのワールドが輝いている、そうしたキラメキを本作品は持っている。『ねらわれた学園』煌めいている。

註1  だけれど、放生会的ギミックとエイティーズのぴあやその他の広告文化を併せ持ったような、しゃれとんしゃー不思議時空間は、たぶん当時においてシアターという大きなスクリーンと暗闇の中においては、日本のお化け屋敷であじあうような摩訶不思議感をオーディエンスに届けたはずである。そのような体験にあらわれるものにはエイティーズらしいポストモダニティなプラスティックなセンスだけではなく日本風土な泥臭さもあるはずなのである。



2 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2025年08月>
日 月 火 水 木 金 土
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31      

最近の日記

もっと見る