ストロング小林は復帰に向けトレーニングを積んで来ましたが回復せず残念ながら43歳の若さで84年8月26日、新日本プロレス「ブラディ・ファイト・シリーズ」第3戦の福生市民体育館大会はで引退試合は行わず、引退セレモニーのみ行いました。
43歳は今で言えばKENTA、関本大介、高橋裕二郎らと同年齢だけにまだ若い感じもしますが40年前だけに相応の年齢だと言えそうです。
S小林が欠場していた期間は日米プロレス界が激動の時代を迎え、欠場前とはかなり状況が変化していました。
83年1月1日後楽園ホールにおける「新春黄金シリーズ」で2年連続の元日興行で開幕した新日本プロレスは新日本プロレス本隊、マサ齋藤、長州力、小林邦昭の革命軍、ラッシャー木村、アニマル浜口、寺西勇の国際軍団の3軍による激戦がスタート。このシリーズからタイガー服部がレフェリーとして新日本のリングに上がりました。
1月6日後楽園ホールのセミファイナル、坂口征二&キラー・カーン組とM齋藤&長州組のタッグマッチ45分1本勝負でKカーンが突如として坂口を裏切り、惜別のダイビング・ダブルニードロップを見舞い革命軍入り。(試合は8分、坂口組の反則勝ち)
1月18日(現地時間)イギリス・ロンドン・ロイヤル・アルバートホールで前82年2月「新春黄金シリーズ」終了後イギリス武者修行に出発した前田明(日明)がウェイン・ブリッジを破りヨーロッパ・ヘビー級王座を獲得。
2月7日蔵前国技館では猪木が国際軍団と2度目の1対3変則タッグマッチを行い、まず大将のR木村を80年9月25日広島県立体育館でスタン・ハンセン相手に見せて以来の「掟破りの逆ラリアット」からの体固めで破り、続いて寺西もコブラツイストでギブアップさせ、今度こそ3タテ勝利かと思わせましたが最後の相手、浜口を場外フェンス越しに投げてしまい反則負けとなりました。
3月4日相模原市立総合体育館で開幕の「ビッグ・ファイト・シリーズ第1弾」に来日したアドリアン・アドニス&カウボーイ・ボブ・オートン組のマンハッタン・コンビは開幕戦の猪木&木村健吾組戦でスカイハイ・ラリアット、ハイジャック式パイルドライバーの新しい合体殺法を披露して話題を集めました。
新日本プロレスにおける外国人レスラーの中核になるかと期待されましたが、鹿児島でオートンが同時来日していた素行不良で定評のあるクリス・アダムスが暴力団員と喧嘩になり巻き込まれ、途中帰国させられ、しばらく新日本プロレスと疎遠になってしまいました。
アドニスは以後ディック・マードックとタッグを結成していくことになります。
4月1日後楽園ホールで「ビッグ・ファイト・シリーズ第2弾」が開幕、4月3日蔵前国技館では3大スーパーファイトと銘打たれてのビッグマッチを開催、タイガーマスクは宿敵ダイナマイト・キッドとNWA世界ジュニア・ヘビー級王座防衛戦を行う予定でいましたが開幕戦でキッドのツームストン・パイルドライバーを受けて首を痛め欠場、ベルトを返上、小林邦とキッドが王座決定戦を行い両者リングアウトの引き分け。
セミファイナルでは藤波辰巳のWWFインターナショナル・ヘビー級王座に長州力が再挑戦、リキラリアットからの体固めでフォール勝ちしベルト移動し王座獲得。
メインイベントは猪木とR木村のIWGPアジア・ゾーン予選で猪木が延髄斬りからの体固めでフォール勝ち。カウント3寸前でR木村の足がロープに掛かりましたが判定は覆らず。
翌4月4日新潟市体育館ではタイガーマスクとキッドがWWFジュニア・ヘビー級選手権試合で対戦予定でしたが、こちらもタイガーマスク負傷欠場で王座返上となり、2日連続小林邦とキッドによるWWFジュニア・ヘビー級王座決定戦となり両者フェンスアウトの引き分けに終わりました。
4月15日福山市体育館ではイギリス武者修行でヨーロッパ・ヘビー級王座を獲得した前田が凱旋帰国し観客に挨拶しました。この日、R木村と浜口が仲間割れを起こし国際軍団は分裂。
シリーズ最終戦の4月21日蔵前国技館ではメインイベントに組まれたのは長州と藤波のWWFインターナショナル・ヘビー級選手権試合リターンマッチでしたが、3日の蔵前で長州にジャーマン・スープレックスホールドを返された際に右膝を痛めた藤波が長州に場外フェンスに逆さ吊りにされてリングアウト負けを喫し、長州が初防衛。
蔵前国技館で歴史的な名勝負を何度も行っている猪木は、75年4月4日「第2回ワールド・リーグ戦」開幕戦での大木金太郎戦以来の8年ぶりトリ前登場(この時はテレビ生中継で、ダブルメインイベント第1試合という扱い、ダブルメイン第2試合の坂口vsS小林が時間切れ引き分けになったところから先に組んだと思われる)セミファイナルでM齋藤を卍固めで破りました。
タイガーマスクが復帰しキッドとNWA世界ジュニア・ヘビー級王座決定戦を行いましたが接戦となり両者フェンスアウトとなり、延長戦も両者リングアウトで決着つかず、王座は空位のまま。二人の最後のシングルマッチとなりました。
イギリス修行から凱旋帰国した前田は凱旋マッチをポール・オーンドーフと行い、フライング・ニールキック、スロイダーから僅か3分36秒、風車固めで勝利しています。
この時新日本プロレスは中17日で蔵前国技館大会を開催、4月3日は日曜日昼興行(午後2時試合開始)、4月21日は木曜日夜興行(午後6時30分試合開始)でしたが、両方とも12,000人超満員発表の大観衆で埋まり、新日本プロレスブームを証明してみせました。
紆余曲折の果て構想発表から2年5か月を要したIWGP。当初は世界6ゾーンで決勝リーグ戦を行い優勝決定戦は82年秋にニューヨークMSGで行うプランでしたが猪木の体調不良など諸事情により国内で決勝リーグ戦を開催。
各ゾーン代表はアジアが猪木、Kカーン。アメリカ代表がハルク・ホーガン、ビッグ・ジョン・スタッド。北米(カナダ)代表がアンドレ・ザ・ジャイアント、ディノ・ブラボー。ヨーロッパ代表が前田、オットー・ワンツ。中南米代表がカネック、エンリケ・ベラ。中近東は代表が出せず。
「MSGシリーズ」より弱体化したメンバーになりましたが5月6日福岡スポーツセンターから6月2日蔵前国技館まで全28大会一日のオフもないハードスケジュールでした。(この項目続く)
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