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2023年08月04日17:45

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ストロング小林さん追悼(464)

79年新日本プロレス春の本場所「第2回MSGシリーズ」は4月27日、横浜文化体育館で開幕。

参加外国人は決勝リーグ戦より参加がアンドレ・ザ・ジャイアント(5月18日〜6月7日)、予選トーナメントより参加がスタン・ハンセン、チャボ・ゲレロ、カネック、ビクター・リベラ、ズビスコ、ピーター・メイビア、トニー・ガレア。

公式戦外特別参加が元NWA世界ヘビー級王者「南部の麒麟児」ジャック・ブリスコ(4月27日〜5月10日)、エル・ソリタリオ(5月10日〜16日)という豪華なメンバーとなりました。

新日本プロレスにとっては念願のセミリタイア状態だったルー・テーズ以外の「NWA世界ヘビー級王者」の登場。前78年11月の「プレ日本選手権」と先の「ビッグ・ファイト・シリーズ」に参戦したヒロ・マツダが共同オーナーを務めるエディ・グラハム主宰のCWF(チャンピオンシップ・レスリング・フロム・フロリダ)との提携により、ブリスコが新日本プロレスにやってきました。

ブリスコは本名フレディ・ジョー・ブリスコ。1941年9月21日、オクラホマ州セミノール出身の当時37歳。一説にはチェロキー・インディアンの血が流れていると言われています。

オクラホマ州立大学ではレスリングの強豪として鳴らし、NCAA全米学生選手権では64年に2位、翌65年には優勝を果たしました。通算戦績89戦87勝2敗という実績を誇り、地元オクラホマ地区(NWAトライステート地区)のプロモーターだったレロイ・マクガークにスカウトされてプロレス入り。

1965年5月、オクラホマシティにてロニー・ガービンを相手にデビュー戦を。以後、アスリート系のベビーフェイスとして、テキサス、フロリダ、さらにはオーストラリアまで各地を転戦。オクラホマ地区では1966年、少年時代のアイドルだったという同郷のダニー・ホッジとの連戦も行われました。

67年11月、日本プロレスの「ウインター・シリーズ」に初来日、偶然にも今回一緒に来日するリベラと同時に初来日でした。他にバロン・シクルナ、スプートニク・モンロー、ニック・コザックらが来日、後半戦にはクラッシャー・リソワスキーが来日したシリーズでした。馬場、猪木とはこの時に対戦しています。

デビュー2年目でありながら、この当時から既に次期NWA世界チャンピオンの有力候補とされていました。

デビュー後、オクラホマを去った後はフロリダのCWFに定置、70年2月10日にはミスター・サイトー(マサ齋藤)を破りNWAフロリダ・ヘビー級王座を奪取。以降73年まで、クリス・マルコフ、サンダーボルト・パターソン、ラリー・ヘニング、グレート・メフィスト、ターザン・タイラー、レネ・グレイ、テリー・ファンク、ボリス(グレート)・マレンコ、ディック・マードック、ボビー・ダンカン、ベアキャット・ライト、ポール・ジョーンズ、ジョニー・バレンタイン、マッドドッグ・バション、ティム・ウッズ(ミスター・レスリング)、バディ・コルトなどを挑戦者に迎え同王座の防衛戦を行いました。

その間にはドリー・ファンク・ジュニアの保持していたNWA世界ヘビー級王座にも再三挑戦しました。実弟のジェリー・ブリスコともタッグを組み、71年上期にはドリー&テリー・ファンク組のザ・ファンクスをライバルとしてNWAフロリダ・タッグ王座を争いました。

71年7月、日本プロレス「サマー・ビッグ・シリーズ」に再来日、8月5日、愛知県体育館で猪木のUN王座に挑戦。1本目は21分2秒、ブリスコがダブルアーム・スープレックスから体固め、2本目は7分6秒、猪木がジャーマン・スープレックスホールド、決勝の3本目は1分37秒、猪木がアバラ折り(コブラツイスト)でギブアップさせて2−1で猪木が2度目のタイトル防衛に成功しています。

ブリスコは敗れはしたものの日本で高評価を得ています。 73年7月20日、テキサス州ヒューストン・サム・ヒューストン・コロシアムでハーリー・レイスを破り、第48代NWA世界ヘビー級王者となりました。

74年1月にはNWA世界ヘビー級王者として全日本プロレス「新春NWAチャンピオン・シリーズ」に初登場。前王者レイスと元王者ドリーも同時参戦した他、サム・マソニックNWA会長も立会人として来日しています。

同シリーズでは1月23日、長崎国際体育館で馬場(PWFヘビー級ダブルタイトル戦)、1月24日広島県立体育館でレイス、1月27日、大阪・東淀川体育館でドリー、1月28日愛知県体育館でザ・デストロイヤー、1月30日、日大講堂で鶴田の挑戦をすべて退けました。(鶴田に勝った以外は全て引き分け)

同年11月の「NWAワールド・チャンピオン・シリーズ」への来日では、12月2日、鹿児島県立体育館で馬場に2−1で敗れて王座を奪われ、12月5日、日大講堂でのリターンマッチ(PWFヘビー級ダブルタイトル戦)も2−1で負け、12月9日、豊橋市体育館での2度目の挑戦で馬場からタイトルを奪い返し第50代王者に返り咲き。12月12日、川崎市体育館で鶴田に勝って初防衛を果たして帰国。

翌75年3月、「エキサイト・シリーズ」に世界王者として3度目の全日本プロレス参戦、3月9日、函館市民体育館での馬場との因縁のタイトル戦は1−1の引き分け、3月11日、愛知県体育館で鶴田、3月12日、富士宮市体育館でデストロイヤーをいずれも2−1で破り、シリーズ最終戦の3月13日、日大講堂では異色の挑戦者、ボボ・ブラジルの挑戦を受けて1−1から反則勝ち。

その後も長期政権を築き、同年8月8日、ミズーリ州セントルイス・キール・オーデトリアムでは馬場を迎え撃って2−1で防衛に成功しましたが、12月10日、フロリダ州マイアミビーチ・コンベンションセンターでテリーに28分、首固めで敗れ王座から陥落しました。

世界タイトルは失ったものの、以降も各地で勢力的に活躍。76年4月17日にはパク・ソンナン(朴松男)を破りNWAフロリダ・ヘビー級王座に返り咲きました。同年8月9日にはテネシー州メンフィスにてジェリー・ローラーからミッドアメリカ版のNWA南部ヘビー級王座を奪取。

同月28日、全日本プロレスの「ブラック・パワー・シリーズ」日大講堂大会にワンマッチ参戦。復活したUNヘビー級王座の王座決定戦にアメリカ代表として出場、日本代表の鶴田とと対戦しましたが、1−1から首固めで敗れています。

11月26日にはセントルイス・キール・オーデトリアムで「超新星」ボブ・バックランドを破りNWAミズーリ・ヘビー級王座を獲得、翌週77年8月12日にディック・スレーターに敗れるまで保持しました。

ホームリングのフロリダでは70年代後半、ジェリーとのブリスコ・ブラザーズでボブ・ループ&ボブ・オートン・ジュニア組、スーパースター・ビリー・グラハム&オックス・ベーカー組、ボビー・ダンカン&キラー・カール・コックス組、Mサイトー(M齋藤)&ミスター・サト(高千穂明久)組などのチームと抗争を展開。ジョージア州ではザ・ファンクスとの抗争も再開し、78年から79年にかけて、NWAジョージア州タッグ王座を争いました。

ブリスコ・ブラザーズは全日本プロレスでは外国人レスラーのブッカーであったファンクスがベビーフェイス外国人タッグチームの筆頭格とし君臨しており、チームとして呼ばれることはありませんでしたがアメリカでは同格のライバルでした。

今回、日本では親馬場派だったマツダが日本でのビジネスパートナーを新日本プロレスに鞍替えしたことでブリスコの新日本プロレス初参戦が実現。

新日本プロレスには75年12月のビル・ロビンソン以来となる正統派テクニシャン系大物外国人レスラーの来日となり、猪木との約8年ぶりの対戦が大いに注目されるところです。

ブリスコの新日本プロレス参戦について馬場は「行くと言っているものは仕方がないが、こういうことは業界としては本当に良くないんことなんだよなぁ」とコメントしています。(この項続く)

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