68年1月3日、TBS体制になって国際プロレスが再スタート。日大講堂で「オープニング・ワールド・シリーズ」開幕戦が行われました。
当時、60年代後半から70年代前半あたりのTBSは「民法の雄」と呼ばれ、「ウルトラシリーズ」、「ありがとう」、「8時だヨ!全員集合」「時間ですよ」など「お化け番組」と呼ばれた高視聴率番組を多数放送しており、先発の日本テレビを凌駕する勢いでした。
前年末の67年12月22日、TBS運動部副部長、森忠大が記者会見を行い「TBSが放送する番組名並びに団体名は『TBSプロレス』とする」と発表。森は吉原功社長の早稲田大学レスリング部の先輩に当たり、放送開始にあたって森の肝入りも大きいものがありました。森副部長は「わがTBSの力を持ってすれば、スターは一夜、いや一時間、分単位、秒単位で作ってみせる」と有名なセリフを吐いています。
前回、団体維持の為に吉原社長は資金繰りに追われ表に出られなくなったと書きましたが、森の仲介で広島県の乳業メーカー「三ツ矢乳業」代表取締役の岩田浩氏(日本プロレス時代から力道山のマネージャーを務め、後に新日本プロレス取締役、アジアプロレス代表、力道山OB会代表を務めた岩田浩氏とは同姓同名の別人)から資金を調達する名目で株式を岩田氏に譲渡。この時点で事実上岩田氏がオーナーとなって、実権を失ってしまいました。
「オープニング・ワールド・シリーズ」はルー・テーズ、ダニー・ホッジ、ハンス・シュミット、ワルドー・フォン・エリック、ブルドッグ・ブラワー、クラッシャー(スタン)・コワルスキー、レフェリーのフレッド・アトキンスなどの豪華外国人を招聘。ブッカーのグレート東郷も試合に出場しています。
TBS体制への移行に際し、カナダのプロモーターであるフランク・タニーを会長とした新団体TWWA(トランスワールド・レスリング・アソシエーション)を設立、初代世界ヘビー級王者にテーズを認定しました。
TBSのプロレス中継の番組名は「TWWAプロレス中継」で毎週水曜日午後7時からの60分枠、生中継が原則となりました。森副部長の豪胆なセリフの通りTBSがエース候補として期待をかけたのは、元ラグビー日本代表、世界選手権出場のグレート草津。シリーズ開幕戦の日大講堂でテーズのTWWA世界ヘビー級王座に挑戦が決定。日大講堂大会の結果如何によりますが、当初は「4週連続テーズに挑戦」というプランでした。
これを日本プロレスが黙って見ている訳もなく、同日の1月3日、蔵前国技館を押さえ、午後1時30分から興行を開催し、興行戦争をぶつけて来たのです。それが日本プロレス史上に残る「隅田川決戦」。隅田川を挟んで徒歩で行ける距離の日大講堂と蔵前国技館での興行戦争でした。
本来ならば1月は大相撲初場所開催の為、日本相撲協会が初日前であってもその月は他に貸さないのが通例になっていますが、日本プロレスは日本相撲協会に特別料金を払って会場を借りました。日本プロレスのメインイベントは馬場のインターナショナル選手権にクラッシャー・リソワスキーが挑戦。クラッシャーは前年暮れに初来日を果たし、12月6日、東京体育館で馬場とインター王座を賭けて闘い、1−1から反則負けで決着がつかず、今回は決着戦として時間無制限1本勝負で組まれました。
昼の日本プロレスは馬場がクラッシャーを32文ロケット砲からの体固めで破りインター王座を防衛、大木金太郎&吉村道明組の保持するアジア・タッグ王座にはビル・ミラー&リッキー・ハンター組が挑戦し1−1から両チームリングアウト。猪木はシングルマッチでケン・ホリスをコブラツイストでギブアップさせています。
日本プロレスの蔵前国技館大会は開場前から当日券を求めて長蛇の列が出来、観衆は12,000人(超満員)発表。日本テレビが当日午後5時30分より正月特番にてディレイ中継。家庭用ビデオデッキが普及していない時代の話ですので、国際プロレスを観に行こうとする人達の出鼻をくじくことに成功しました。
国際プロレスは午後5時30分試合開始、メインのテーズvs草津のTWWA世界ヘビー級王座戦は午後7時からの生中継に合わせる為に第3試合に組まれました。いわゆる「逆取り」です。
当日は日本プロレスと折り合いの悪くなっていた(力道山の死後、力道山の作った「日本プロレスリング興業株式会社」とは別に豊登、芳の里、遠藤幸吉、吉村らは別法人「日本プロ・レスリング興業株式会社」を設立、力道山が生前遺した事業による巨額の負債の負担を回避させる方向に出た、つまり、力道山時代の日本プロレスと、この時の日本プロレスは別法人)力道山の未亡人である百田敬子、息子である百田義浩と百田光雄も招待されていた他、後に全日本プロレスに入団する大相撲力士時代の天龍(当時17歳)も観戦に訪れていました。
テーズと草津のTWWA世界戦は61分3本勝負で組まれましたが、実力の差は歴然。1本目、17分50秒、テーズがバックドロップから体固め。草津はテーズのバックドロップのダメージで失神、2本目は試合放棄。2−0のストレート負けでまさに惨敗でした。
この時の失神については後に草津が、セコンドにいた東郷に「寝てろ」と言われたと発言してますが真偽は不明です。いずれにしてもこの時の結果が後々国際プロレスの行く末を暗示することになりました。
この日覆面太郎から素顔の小林省三になった小林はこの日大磯武とシングルマッチで対戦、9分34秒、体固めで勝っています。
国際プロレスの日大講堂は観衆6,300人発表でしたが空席が目立ちました。テレビ視聴率は日本テレビが36.2%、TBSが32.3%。初モノということもありTBSの健闘が光りました。
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