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2021年12月15日05:48

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ジャンボ鶴田怪物伝説(969)

88年春の祭典「チャンピオン・カーニバル」は3月26日、茨城県古河市立体育館で開幕。

シリーズ全戦参加がブルーザー・ブロディ、ビッグ・ブーバー、トミー・リッチ、オースチン・アイドル、トム・マギー、ジョージ・スコーラン。

前半戦特別参加がスタン・ハンセン、アブドーラ・ザ・ブッチャー、タイガー・ジェット・シン。中盤戦より特別参加がジミー・スヌーカ。豪華外国人メンバーを動員しました。

シリーズを通してのエース格はブロディ。前87年11〜12月の「創立満15周年記念世界最強タッグ決定リーグ戦」以来3か月3シリーズぶりの来日、前回はファン待望のスヌーカとのタッグチームを日本で再結成、全日本プロレスの最強タッグに6年ぶりにこのチームでエントリーしましたが、12月11日、日本武道館での最終公式戦、鶴田&谷津嘉章組との対戦で敗れ、惜しくも準優勝。

今回は84年9月6日、大阪府立体育会館大会以来となる鶴田のインターナショナル・ヘビー級王座に挑戦が決定。馬場は三冠王座を統一させる動きに出てきており、先の「エキサイト・シリーズ」3月9日、横浜文化体育館でのPWFヘビー級王者ハンセンとUNヘビー級王者天龍とのダブルタイトルマッチでは天龍がフォール勝ちしており、三冠統一戦が実現する可能性は大です。

初来日のビッグ・ブーバーは本名レイ・トレイラー、63年ジョージア州マリエッタ出身の当時24歳。

前職が刑務所の看守という経歴を持ち、85年にデビュー。86年夏、ジム・クロケット・プロ主宰のNWAミッドアトランティック地区に、ビッグ・ババ・ロジャースリングネームで登場。黒スーツにソフト帽、サングラスという用心棒ギミックで、ヒールマネージャーのジム・コルネットのボディーガードという役割。シャツを着用し黒のサスペンダーにズボンで試合を行うスタイルが注目を集め、87年にはオクラホマ、ルイジアナといったミッドサウス地区でワンマン・ギャングやスティーブ・ウィリアムスと抗争を展開。

ビッグ・ババ・ロジャースのリングネームは馬場の海外修行中のリングネーム、ビッグ・ショーヘイ・ババから取ったものであることは明らかで、さすがに馬場の主宰する全日本プロレスのリングで「ババ」を名乗らせる訳にはいかず、スペルが「Big Bubba Rogers」であったところからビッグ・ブーバー表記での来日となりました。

「野生の炎」第59代NWA世界ヘビー級王者、トミー・リッチは前87年3月の「創立15周年記念チャンピオン・カーニバル」以来1年ぶり3度目の来日。

81年4月27日、ジョージア州オーガスタでハーリー・レイスを破りNWA世界ヘビー級王者となりましたが、その4日後の5月1日、ジョージア州マリエッタでレイスにタイトルを奪還されています。この記録はNWA世界王座史上の最短命記録であり、当時24歳9か月でのベルト獲得は48年のNWA発足以降史上最年少での王座戴冠記録でもありました。(ルー・テーズが37年にエベレット・マーシャルを破って世界王者になったのはNWAの発足前。リッチの記録は84年5月6日にリック・フレアーを破って24歳3か月で王者となったケリー・フォン・エリックにより更新されている。)

来日前の82年3月7日、ノースカロライナ州シャーロッテで鶴田のUNヘビー級王座に挑戦、11分25秒、両者リングアウトで引き分けていますが、初来日した83年2月25日、愛知県体育館での再挑戦では19分41秒にバックドロップからの体固めに敗れています。

4年2か月ぶりに再来日を果たした前回の参戦では87年4月2日、大阪府立体育会館で鶴田のインターナショナル・ヘビー級王座に挑戦、僅か10分、ジャンボ・ラリアット1発でからの体固めで仕留められており、目立った活躍は出来ず。今回は開幕前の段階でタイトル戦線には名を連ねていませんが、捲土重来を期したいところ。

「黄金の鷹」オースチン・アイドルは87年8〜9月の「創立15周年記念サマー・アクション・シリーズ2」以来半年ぶりの来日。

49年フロリダ州出身の当時39歳、アイアン・マイク・マッコードのリングネームで72年フロリダ州でデビュー、トップにのし上がり、ニューヨークMSGを中心としたWWWF地区でも活躍、75年2月にフロリダでセスナ機事故に遭って重傷を負います。(同乗していた71年2〜3月の日本プロレス「ダイナミック・ビッグ・シリーズ」に1度だけ来日したボビー・シェーンが死亡)

カムバック後にアイドルに改名し80年8月に初来日、得意技である足4の字固めを「ラスベガス・レッグロック」と称し、8月20日、後楽園ホールでの開幕戦では鶴田からタッグマッチで1本ギブアップを奪っています。

扱いは日本側から参戦したミル・マスカラス&ドスカラス組のマスカラス兄弟と、後半戦に特別参加したNWA世界ヘビー級王者、ハーリー・レイスを除くフル参戦組ヒールサイドとしてはトップで、9月10日、滋賀県大津市皇子が丘体育館でマスカラスと両者反則、同17日、千葉県館山市民センターでは鶴田と両者リングアウトの引き分けでノーフォール負けで帰国しました。

帰国後はテネシー州を拠点とした米国版CWAに転戦。80年10月6日にはビル・ロビンソンを破りCWA世界ヘビー級王座を獲得し以後は同地区に定着していました。

しかし7年ぶり87年8月の再来日ではハンセンのパートナーに指名されWWF入りしたテッド・デビアスの後釜としてPWF世界タッグ王者に認定されましたが、9月3日、愛知県体育館で天龍&阿修羅・原にリングアウト負けを喫し王座転落、事実上はペーパーチャンプで終わってしまいました。

さらに9月11日、広島県立体育館でのマイティ井上とのシングルマッチでストマック・ブロックを食らって脇腹を負傷し途中帰国といいところなしであり、リッチ同様、汚名返上を期しての3度目の来日となりました。

パワーリフティング元世界王者、トム・マギーは86年1月「ニューイヤー・ウォーズ SUPER BATTLE86」序盤戦特別参加以来2年2か月ぶりの再来日。

62年カナダ・バンクーバー出身の当時25歳。ボディビルとウェイトリフティングで身体を鍛え、81年には19歳の若さでパワーリフティング世界王者となりました。82年にはインターナショナル・パワーリフティングコンテストに優勝。

また怪力世界一を決めるワールド・ストロングマン・コンテストにも3年連続出場(92年1月4日、新日本プロレスの東京ドーム大会に来日したビル・カズマイヤーは優勝の常連)しました。85年にミスター・ヒトにスカウトされてプロレス入り。

86年1月1日、後楽園ホールで長州力と5分10ラウンド制のプロレス対パワーリフティングの異種格闘技戦を行いましたが、3ラウンド2分13秒、リキラリアットからの体固めで敗退し帰国。

帰国後は86年7月、WWFのTVショーに出場し、ダークマッチでブレット・ハートに勝利。翌87年1月より、メガ・マンのニックネームでベビーフェイスの大型ルーキーとしてにWWF再登場。マグニフィセント・ドン・ムラコ、アイアン・マイク・シャープ、ロン・バス、タイガー・チャン・リー(タイガー戸口)といったの中堅ヒールを相手に連勝を重ね、次代のハルク・ホーガンとも目されたものの、試合がしょっぱくてレギュラー参戦を果たせずリリースされています。

類まれなる身体能力にプロレス頭とセンスがついて来ない見本の一人と言えます。

初来日のジョージ・スコーランは61年ニューヨーク州ホワイトブレーン出身の当時27歳。父親は62年日本プロレスの「第4回ワールド・リーグ戦」に現役として1度だけ来日、引退後はWWFの重鎮としてボブ・バックランド、アンドレ・ザ・ジャイアントのマネージャーとして新日本プロレスに度々来日したアーノルド・スコーラン。

86年にカナダでデビュー、カルガリー地区の前座レスラー、マギー同様、ミスター・ヒトのブッキングによる初来日と思われます。

特別参加組、日本側、シリーズの見どころについては次回お送りします。

 

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