窮鼠はチーズの夢を見るのPSとして、スコセッシリンチニーチェ的参照において、主人公は遂には超人志向として表されていたのか、或いはフツーに観て、只の人には優しいけれど結局は自分が大事な場所にとどまりたいナルシスト的自分好き好きな人物だったのか、と大倉忠義のキャストで言えば、後者なのかな、でも行定勲的には、、どっちなのかな、、或いは、どっちでもないの、、まー映画は十人十色だから、アップトゥユーなんでしょうな。少なくとも、愛を平等に届けようとして処理しきれなくなった只のアホとしては描かれなかったとは思う。
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