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2019年12月30日22:52

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猪木とビンス(633)最終章

86年は新日本プロレスに前田日明、藤原喜明、木戸修、高田伸彦、山崎一夫の5人のUWF戦士達がリターン参戦、猪木は前田とのシングルマッチを避けました。4月29日には津市体育館で前田とアンドレ・ザ・ジャイアントがシングルマッチを行いましたが、不穏なセメントマッチとなり26分35秒、無効試合となっています。

8月にハワイでブルーザー・ブロディが猪木と会談し新日本プロレスへの電撃復帰が決定、9月16日、大阪城ホールで猪木と60分時間切れ引き分け、9月19日、福岡スポーツセンターで藤波と両者リングアウト、しかし、その後11月に特別参加を予定していた「ジャパンカップ争奪タッグ・リーグ戦」への来日をキャンセル。新日本プロレスとは再び絶縁となりました。

またこの福岡大会を最後にテレビ朝日の「ワールドプロレスリング」が73年4月6日の新日本プロレスレギュラー放送開始から13年半続いた「毎週金曜日午後8時」から撤退、10月から毎週月曜日午後8時からに放送時間帯が移行しました。

猪木は10月9日に両国国技館でレスラー生活25周年記念イベント「INOKI闘魂LIVE PART1」を開催、モハメド・アリに勝ったプロボクシング元WBA、WBC統一世界ヘビー級王者、レオン・スピンクスを苦戦の末プロレスルールの体固めで破りましたが試合内容は乏しく、同日行われた前田vsプロ空手WKA世界クルーザー級王者、ドン・ナカヤ・ニールセンを逆片エビ固めで破った試合の方が高く評価されて明暗を分けました。前田は「新格闘王」と呼ばれカリスマ性を高めていくことになります。

翌87年には全日本プロレスに参戦していた長州力、マサ齋藤、小林邦昭、スーパー・ストロング・マシン、ヒロ斉藤、保永昇男らが新日本プロレスにUターン参戦。

2月に海賊男が海外遠征中の武藤敬司を襲撃すると言う事件が起き、その後新日本プロレスのリングに乱入していますが、子供騙しのギミックで失敗となりました。

6月12日、両国国技館で行われたIWGP王座決定リーグ戦で猪木がM齋藤を破り優勝、この大会を機にIWGPは正式にタイトル化。これでIWGPはヘビー級、タッグ、前86年2月に新設されたジュニア・ヘビー級と合わせて3つのベルトが揃いました。

視聴率不振にあえぐワールドプロレスリングはこの年の4月7日より毎週火曜日午後8時からに放送時間帯を再変更し、芸能部制作による「ギブUPまで待てない!ワールドプロレスリング」に番組をリニューアル。山田邦子をメインキャスターにしましたがこれは裏目に出ています。

旧ジャパンプロレスの長州軍団が戻り84年の選手、フロント大量離脱前に匹敵する陣容になった新日本プロレスですが、猪木の体力的な衰えからか正規軍、UWF、長州軍団をシャッフルしてナウリーダーvsニューリーダーの抗争にシフトチェンジ、5対5イリミネーションマッチみたいなゲーム性の強いマッチメークでお茶を濁し、ファンの関心は集められず。

そんな中猪木はM齋藤との巌流島決戦をぶち上げ、10月4日、に山口県の巌流島で猪木vsM齋藤の無観客試合を敢行、2時間5分14秒、猪木が戦意喪失でM齋藤からKO勝ちを収めました。

不評の「ギブ待て」は最初の1クールでタレント達を入れたバラエティー路線は終了し7月からの2クール目からは元の試合中継中心の番組作りに戻しましたが視聴率は回復せず、10月から再び毎週月曜日午後8時からに戻りました。

11月19日、「ジャパンカップ争奪タッグ・リーグ戦」後楽園ホール大会での長州&M齋藤&H斉藤組vs前田&木戸&高田組の6人タッグマッチで、前田がサソリ固めをかけていた長州の顔面をハイキックで蹴撃。長州は右眼窩底骨折の重傷を負い欠場、猪木は前田を「プロレス道にもとる」と強く非難し新日本プロレスは前田を無期限の試合出場停止処分としました。

12月27日、両国国技館で行われた「イヤーエンド・イン国技館」ではテレビ朝日と東京スポーツのタイアップにより実現したビートたけし率いる「たけしプロレス軍団」(TPG)が登場。TPGの刺客ビッグバン・ベイダーが初来日しました。  

当日は猪木vs長州のIWGPヘビー級選手権試合、藤波&木村健吾組vsベイダー&M齋藤組が予定されていましたがリングで上TPGの挑発に乗った猪木がカードを変更して、ベイダーと対戦することを応諾してしまいました。

変更カードとなった藤波&木村健組vs長州&M齋藤組の試合中、観客席からはリング内にモノが投げ続けられる前代未聞の状態となり、猪木はその場を収める為に長州、ベイダーと2試合行うことに。猪木vs長州は6分6秒、猪木が長州に卍固めを決めたところ馳浩が入ってきて卍固めをひっくり返し長州の反則勝ち。続けて行われた猪木とベイダーの初対決は僅か2分49秒で猪木があっさりとフォール負け。

この結果に怒った観客が国技館の建物を毀損すると言う暴動騒ぎに発展しました。猪木は私生活でも9月には女優の倍賞美津子さんと離婚、10月にブラジルに在住していた母・文子さんが68歳で他界するなど残念な出来事もありました。

88年4月、ワールドプロレスリングの放送はゴールデンタイムから外され、毎週土曜日午後4時(関東地方)からに変更されました。4月22日、沖縄・那覇市奥武山体育館、メインイベントの猪木&藤波組vベイダー&M齋藤組。試合は猪木組の反則勝ちでしたが内容的にはベイダー&M齋藤にいいようにやられてしまいました。  

新日本プロレスではこの88年「スーパー・ファイト・シリーズ」、猪木とベイダーのシングル2連戦が売りでしたが、体力の衰えが目立つ猪木とベイダーの試合で観客が満足出来るのか?と藤波が決起してベイダー戦を直訴。「飛龍革命」が勃発しました。 

翌4月23日、宜野湾市体育館大会前、猪木がジョギング中に左足の甲を骨折し試合を欠場。ベイダーとの2連戦は藤波が代わりに対戦、4月27日、大阪府立体育会館でのノンタイトル戦では藤波のリングアウト勝ち。5月8日、有明コロシアムでは猪木の負傷により返上されたIWGPヘビー級王座決定戦として試合が行われ、反則勝ちで藤波が第2代王者となりました。

前87年11月19日、後楽園ホールで長州の顔面を蹴って無期限出場停止処分を受けた前田は新日本プロレスからのメキシコ行きの命令を拒絶、3月1日に新日本プロレスを解雇されました。これに追随して高田、山崎も3月19日、後楽園ホール大会を最後に新日本プロレスのリングを去り前田と合流。中野辰雄、安生洋二、宮戸成夫と共に4月8日には新生UWFの設立を発表。

5月12日、後楽園ホールで行われた新生UWFの旗揚げ興行は「チケットが15分で完売した」という伝説を作りました。メインイベントでは前田が山崎を片羽絞め降しています。

猪木は7月に戦列復帰、藤波の持つIWGPヘビー級王座への挑戦者決定リーグ戦に参戦します。しかし7月22日、札幌中島体育センターでの長州との公式戦で7分55秒、リキラリアットからの体固めでフォール負けを喫してしまいました。タッグでは藤波にフォールを取られたことはありますが、シングルマッチで弟子に当たる選手に3カウントを初めて奪われました。猪木限界説が囁かれるように…。

長州には敗れたものの、リーグ戦では猪木が最多得点を獲得し8月8日、横浜文化体育館で藤波のIWGPヘビー級王座に挑戦。「猪木、負ければ引退か!?」と言われましたが藤波相手に60分時間切れ引き分けとなっています。試合後、猪木は自らの手で藤波の腰にベルトを巻きました。

89年1月6日、後楽園ホールで、猪木&藤波&長州の3人が6年3か月ぶり、82年10月8日、後楽園ホールでの「噛ませ犬」事件以来のトリオを結成、ベイダー&クラッシャー・バンバン・ビガロ&リップ・モーガン組と対戦、猪木が卍固めでモーガンをギブアップさせました。

翌1月7日、昭和天皇が崩御、時代は「平成」へと移り変わりました。

4月24日、新日本プロレスは業界初の東京ドーム大会を開催、ペレストロイカの影響でソビエト連邦共和国から「レッドブル軍団」が来襲、猪木は円形リングで柔道家のショータ・チョチョシビリと異種格闘技戦で対戦し5ラウンド46秒、裏投げの連発でKO負け。

5月25日の大阪城ホールでの再戦では2ラウンド1分7秒、裏十字固めでギブアップさせています。6月16日、後楽園ホールで猪木の参院選出馬が発表され、それに伴い坂口が新日本プロレス社長に就任。

猪木はスポーツ平和党党首として7月24日に行われた参議院議員選挙で比例代表区で93万票を獲得して当然、プロレスラーとして初の国会議員となりました。
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