付き合い始めの時はそれですら小鳥の囀りや天使の声に聞こえるのかもしれないが、付き合いがしばらく経って慣れてきて、そんなとき愚痴が始まると、また始まった、と思ってダンマリを決め込む人も多いのではないかと思うが、クローズアップ現代で、木下恵介の作品の特徴は愚痴がセリフに表されることだと言っていたけれど、多くのオーディエンスはそこに共感をするのだろうし、きっと日常生活では愚痴が多いのではないか、と、なるほどなとなる。ところで、愚痴と同じように、憎まれ口も日常によくあるな、となる。
若松孝二の作品群において、例えば聖母観音大菩薩の松田暎子のように、全てを受け入れるような慈愛の表象的な女性像が多いな、と思っていたが、エンドレス・ワルツの広田レオナを見ているとキャタピラーの寺島しのぶと似ているな、となり、基本は慈悲慈愛を示す女性像だけれど、憎まれ口も叩き、時には暴力も辞さないところ似ているな、となる。でも、町田町蔵にしても寺島のご主人にしても、凄い形相になったり暴力を働いたり、駄々っ子のようになったり、そうしたもの表したりするから、それは致し方ないのであり、そうした男性をも包み込むようなところは慈悲深き聖母像なところである(註1)が、憎まれ口の勃発は、木下と同様に、日常で親近感を表すものであろう、となる。
女性を太陽神的に崇めるところは、イマヘイが描く、土偶のような肉感ある生命力ある女性たち(註2)に顕著に表されるが、新藤にはそうした表象性の強さはなく、より身近な生活感の女性像だけれど、でもやはり、女性崇拝的な、太陽神を崇めるような日本人的なところも感じたりモスル。若松の場合も、都会生活での民を描いても、そうした太陽神崇拝的な日本人的泥臭さはなにか感じられてしまう、のではある。
註1 母性が包み込む子供的な表象は、ランドセルを担いでサックスを吹く町田を広田が「私がそうした格好にさせたの」と言って、友人に「可愛いでしょ?」と言うところに表されている。本当に、こうしたエピソードがあったのかもしれないが。
註2 一方で、大島渚が表す女性は首が長く細身な女性像だな、と以前、大島とイマへいを交互に観ていたときそう思っていた。ので、最終期の清水美沙はどちらかと言えば、大島がキャストするような女性だったので、それまでのイマヘイが表してきた女性とは違うな、となっていた。
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