86年1月28日、東京体育館(テレビ収録、観衆8,750人満員発表)では、全日本プロレスとジャパンプロレスの互いの団体の面子を賭けたタッグ頂上決戦。鶴田、天龍組に長州、谷津嘉章組が挑戦したインターナショナル・タッグ選手権試合が行われています。
1月14日、鹿児島県立体育館で鶴田と石川敬士による奇襲攻撃を受けて、右脇腹を痛めた長州は負傷箇所にテーピングして試合に出場。試合前にマイクで「お前ら、今日俺たちを潰さないと後悔するぞ!」とアピール。
この1年間でシングル、タッグ、6人タッグで何回も対戦している両チームは回数を重ねる毎にスイングしてくるようになり、鶴田、天龍もジャパンのハイスパートプロレスに見事に対応、全日本の「懐の深さ」を見せています。
試合は22分21秒、天龍が谷津からパワーボムでカウント3を奪い、ピンフォール決着で勝負が着きました。鶴田、天龍組は6度目のタイトル防衛。
ゲスト解説で放送席に座っていた馬場は試合後、「お互いにいい試合だった。谷津が一枚落ちるかと思ったがとんでもない。互角の試合だった。」と絶賛しました。
セミファイナルではタイガーマスクとヒールに転じたザ・グレート・カブキがシングルで対戦。タイガーマスクはベテラン、カブキの巧妙な試合運びにペースを掴むことが出来ず苦戦。
そこへ突如、先シリーズの85年世界最強タッグ決定リーグ戦の終盤戦に予告なく帰国し参戦していたサムソン冬木が乱入、元々、この日はタイガーマスクと冬木の一騎討ちの予定でしたが、冬木の負傷欠場でカブキに対戦相手が変更されていました。試合は18分10秒、ノーコンテストとなっています。冬木も欠場中で焦っていたか、話題が欲しかったと思われます。
国際プロレス崩壊後、全日本プロレスに「中途採用」された冬木はタイガーマスクはキャリア、年齢は先輩でも全日本では後輩に当たり、長州達ジャパン勢が幅を利かしていた全日本プロレスで何とか居場所を確保しなければなりませんでした。
ミル・マスカラスの保持しているIWA世界ヘビー級王座には小林邦昭が挑戦。マスカラスの個人ベルトと化しているIWAのタイトルマッチが全日本プロレスのリングで行われるのは82年2月4日、東京体育館での天龍戦以来4年ぶり。
「虎ハンター」小林がマスカラスのマスクに手をかけるか期待されましたが大きなヤマ場もなく8分42秒に両者リングアウトの引き分けでマスカラスが王座防衛となりました。
シリーズ最終戦、2月5日、札幌中島体育センター(テレビ収録、観衆6,450人超満員発表)では東京体育館の再戦、鶴田、天龍組vs長州、谷津組のインターナショナル・タッグ選手権試合2戦目が行われ、24分1秒、谷津がジャーマン・スープレックスホールドで天龍からリベンジのカウント3を奪いベルト移動。長州、谷津組が新王者となりました。
全日本の至宝がジャパン軍団のものとなり、長州、谷津組は新日本プロレスを退団してから1年5か月で王座戴冠となった訳です。
シリーズ終了後、2月14日から17日までの4日間、全日本プロレス一行は台湾に遠征しますがこれは長州以下ジャパン勢が参加しなかったので割愛致します。別連載「ジャンボ鶴田怪物伝説」で改めて書いていきたいと思います。
全日勢が台湾に遠征している間の2月16日、後楽園ホールでジャパンプロレスが自主興行を開催。ジャパン、カルガリー・ハリケーンズ、国際血盟軍三軍対抗シングルマッチが行われました。
メインイベントは前85年12月15日、同所での対戦に続く長州vsスーパー・ストロング・マシンの一戦。17分4秒、エキサイトした長州がマシンのでマスクに手をかけて反則負け。
セミファイナルも前回と同じ小林邦とヒロ斉藤の対戦、11分43秒、小林邦がリングアウト勝ちを拾っています。谷津はラッシャー木村と対戦、R木村がパワーで谷津を押していましたが、暴走して12分2秒、両者リングアウトとなりました。
馳浩と共にジャパン生え抜きとなる佐々木健介がこの日デビュー。馳は既にカナダ、プエルトリコに修行に出ていました。健介は笹崎伸司に10分29秒、逆エビ固めで敗れております。
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