『メランコリア』
マルクスガブリエルだっけ?想像も実存だって言ったのは。まさにこの作品に表されるもの、そのこと語らしおん。イマージュである。ラストの木立のテントにいる姉妹と子供に表されるもの、それは勿論、絆とか結び付きとかそうしたイマージュなのではなく、志向そのもの、そのノエシス的なるものがそうなのである。
第一章のジャスティンに、満ちたるものに対する疑問、或いは感心という人間的なもの、邪悪への考察が表され、第二章のクレアには、未知たるものへの関心が、夜に抜け出しメランコリアの光を浴びる裸女を通して表される。それもまた表裏一体する邪悪への問いかけである。イマージュは物語的に志向される高揚に表されのではなく、常に我々に現前する。カラックスは映画を言説化するが、フォントリアーは映像へと志向させる。彼はイマージュを表すと同時に、あまりにも人間的なるもの、感心を問いかけもするのである。
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