78年ゴールデン・ファイト・シリーズでは開幕戦の8月25日、長岡市厚生会館と翌26日、長野・飯山市民体育館で5人のヤングライオンがデビューを飾っています。
ジョージ高野(再デビュー)、前田明(日明)、原薗喜由紀、平田淳二(淳嗣)、斎藤弘幸(ヒロ)の5名で、原薗は早くして引退してしまいましたが他は日本プロレス界でメインイベンターに成長を遂げた選手ばかりであり、新日本プロレスはつくづく「人材の宝庫」だなぁ、との思いを強く感じさせられました。
ジョージは黒人の米軍人だった父親と日本人の母親の間に生まれたハーフで鋼ねような肉体と強靭なバネで猪木からも期待されていて、76年に大相撲大鵬部屋から新日本プロレスに入門、デビュー前から特撮番組「プロレスの星アステカイザー」に出演。
77年2月10日、日本武道館で佐山聡を相手にデビュー戦、15分時間切れ引き分けと当時としては破格の扱いでした。
本人の俳優志向もあり、そのルックスを買われて菅原文太に弟子入り。(そういう面ではみちのくプロレスの新崎人生の「兄弟子」にあたる)。ジョージの芸能界入りについては猪木の意向もあったとされている。(芸能界で名前を上げてプロレス界に戻って来る)その後プロレス界への未練が断ち切れず。78年6月に新日本に再入門し再デビューに至りました。
さて、気になるタイガー・ジェット・シンと上田馬之助の不協和音ですが、9月1日、福島県会津体育館でのテレビ生中継で決定的な亀裂が生じてしまいました。
この日のメインイベント、猪木、藤波、ストロング小林組vsシン、上田、ジンバ・カーン組の6人タッグマッチ。
北米タッグ王者であり、ヘビー級でもあるS小林はコールも藤波より先。ここで新日本プロレスの団体内での番付はS小林と藤波が入れ換わって藤波の方が入場もコールも後。外様の悲しさか、S小林は4番手に下がりました。
試合は1本目は18分43秒、日本組が反則勝ち。2本目は2分8秒、藤波が逆さ押さえ込みでジンバをフォールし、2-0で日本組が勝ちました。
しかし、試合中にシンと上田の連係はギクシャクとし、前週の開幕戦に次いで誤爆と同士討ちを繰り返しついに試合中に仲間割れ。
2本目の藤波の勝利はシンと上田の仲間割れの間隙を縫っての逆転フォール勝ちでした。
収まりのつかない両者は試合後も同じ控室に入ろうとせず、上田は通路にてシンとの一騎討ちをアピール。
9月19日、大阪府立体育会館でシンと上田によるシングルマッチ、時間無制限1本勝負の開催が発表されました。
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