『パターソン』
フレデリック・エルムスがDPなのか。色彩がギドギドなイメージするから、乾いたジャームッシュとは違和感あるのではと思えてしまうけれど、そんなことなく、とてもフィットするイマージュでした。ワイルドアットの頃のリンチとパリステキサスの時のヴェンダースと、ジャームッシュとはなにか共通項にいるように思えるものあるから、エルムスの起用、ナットクである。
日常というパターンが表されながら、ズレが生まれてくる、そのグリッドが重なり合うストラクチャー、とてもジャームッシュ。とても詩的である。永瀬正敏は彼が書いた詩を決して翻訳しないと言う。翻訳した詩はレインコートを着たままシャワーを浴びるようなものだと言ったジョークの意味よく分からずとも、エクリチュールというもの、翻訳しないことには同意する。ジャームッシュって確か、コロンビア大学の文学部卒業だと思うけれど、映画の方に彼自身の道を見い出したけれど、なにか今や文学の方に関心があるように思えている。詩を題材にしているからではなく、最近の内省的なものの描き方、それをしかと感じるものあるのである。本も出しているのかな、このヒト?
双子の表され方、により、朝目覚めてからの一日一日が夢のように感じられ、とてもシネマ的。こうしたソフトなヒトいるな、というか、ほとんどの人はきっとこうしたヒトであり、日常とはこういったものであり、日常に出会うハプニングをそこはかとなくそうであると感じさせる素敵な作品。ここんところのジャームッシュ、オーヴァーラップの使用が多いと思うけれど、クロスフェードのレイヤー、緻密に計算されていてオモシロい効果を出して、夢空間をさらに増殖させる。しかしながら、そこには時間は確かにあり、それを感じさせることにより、現実に密着する。シネマ的、映画的、そしてシアター的である。
ダンケルクばかりが映画館で観なければならない作品ではない。パターソンのそのソニマージュ、映画館での体験、素敵な内省と出会える。
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