藤波が敵前逃亡したカネックの代打、イワン・コロフを2分25秒、ドラゴン・スープレックスホールド(飛龍原爆固め)で倒した後のメインイベントは猪木のNWFヘビー級王座にマスクド・スーパースターが挑戦。
猪木の東京でのNWF王座防衛戦は前77年3月31日、蔵前国技館でのジョニー・パワーズ戦以来1年ぶりでした。
これは東京でのビッグマッチが異種格闘技戦中心であったことから来たものであることは間違いかと思います。
この試合から新日本プロレスはタイトルマッチの試合時間を60分から61分に変更しています。
「61分」は古くから日本に存在し、力道山時代からある日本プロレスでもタイトルマッチや特別試合で用いられていた試合時間で、54年2月19日、日本初のプロレス国際試合、力道山、木村政彦組vsベン&マイクのシャープ兄弟の一戦にこの試合時間が使われました。
その後馬場時代になってからは60分になっていましたが、国際プロレスは金網デスマッチ以外のタイトル戦はほぼ61分を採用。
全日本プロレスも73年3月のPWF発足時から75年1月29日、東京体育館での馬場vsハーリー・レイスのPWFヘビー級選手権試合位までは61分でやっております。
この1分プラスするのは実際にあまり意味があるとも思えませんが、桜井さんによると「ハワイで以前から採用されていたルールであり、タイトルマッチを通常の試合との差別化を図る為につくられたもの」とのことです。
ハワイと言うのは、力道山に日本でプロモーターライセンスを発行して商売してもらいたい、として動いていたのがハワイのプロモーター、アル・カラシックであり、そこから桜井さんがルーツにしたと思われます。
後、60分時間切れ引き分けになった時に、「後1分あれば(試合に)勝てた」とアピールするレスラーが多いことから1分を付け足したという説もありますが、私の知る限り60〜61分の間で決着がついたというタイトル戦は聞いたことがありません。
この61分は80年暮れに、79年2月に新日本と国際によって擁立された日本プロレスリング・コミッショナー(二階堂進自民党幹事長)のもと、山本小鉄新日本プロレス審判部長が中心となってオフィシャルルールが作られタイトルマッチは原則60分に改められました。
ですので新日本プロレスの61分時代、というのは2年10か月続くことになる訳です。
メインは猪木がセミの分まで試合を盛り上げるべくマネージャーのグレート・マレンコの介入もありましたが、24分58秒のロングマッチで地味なMスーパースターの持ち味をフルに引き出して卍固めでギブアップ勝ち。
13度目の防衛に成功しています。
ログインしてコメントを確認・投稿する