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2017年04月07日12:59

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ジャッキー・ブラウン



『ジャッキー・ブラウン』

クリスタッカーをトランクに入れてからの長回し、誰しも印象にのこっていると思うけれど、あそこにこそ、会話なんかでのタランティーノの要素が充たしあるなと思った。テンションのもたせ方の中にユーモアを入れる。これがタランティーノがいつも表しているものだろう。コーエンズのシニカルさともスットコドッコイなとことも違う。画風はバンドテシネだけれど、やはりアメリカン。コミックに表されるようなヴァイオレンスと笑いの共存がある。

これまで観たとき、なぜデニーロ?と思ったけれど、今回は彼による役の膨らませ方、ナットクする。スコセッシにおいて強迫観念を抱く主人公を演じても、トラヴィスにしてもジェイクラモッタにしても、彼が演じる人物は強い。ディカプリオが演じる人物たちのように、まわりにピリピリすることはない。しかし、この作品で彼が演じる人物は、ディカプリオのように回りを気にする、けっこう弱い人物である。女がそうさせてしまったところもあるけれど、元々からそうした気性の人物として表現されている。スコセッシでは演じることなかったディカプリオ的なキャラを、デニーロは上手く表現している。
  もっともタランティーノの場合、強迫観念を抱く人物というよりは、タランティーノは全体においてもテンションへと昇りつめるセンスを表すのであり、そのテンションのなかでシドロモドロになってしまう人物としてのそれをデニーロは体現している。

プロットもいいけれど、そうした犯罪サスペンスであるよりも、男と女のモノガタリ的なアプローチをタランティーノは表したかったような気がする。オデールはレイと会う約束をしているジャッキーに、ちょっとジェラシー的な態度を表したりする。ここに表される男女の絡み合い駆け引きはちょっとソープオペラ的であり、あくまで映画的なものであるが、男女数組のエモーションの絡みがコアとなっている。一方でアクション、そして一方で恋愛もの。KissKissBangBangをタランティーノ的にまとめあげている。

タランティーノは心理のモーションに、やはりとても関心があるんだろう。そして一方で、反解釈的に、映像的に、所作を写し取る。

オープニングタイトルのパム・グリアを追うカメラアイ、我々の日常において朝なんか皆が見かける出勤風景、誰しもがひとつの方向に向いて進んでいる。そうしたものを想起させる。彼女はそして、彼女の位置に立ち、笑顔で乗客に応える。或る方向に向かうとき、ヒトはあれこれ考えてはいないと思う。ただ真っ直ぐに進むその姿が表される。

モールでレイたちを探すときのジャッキーを追うカメラアイにもまた、ジャッキーと彼女を取り囲む状況が表される。語ることができない“状況”がある。

最近のメッセージ性を表しているかのようなタランティーノと違い、哀愁がある。ラストに別れるふたり、映画的である。日常であれば、素直にくっつくであろう。しかし、映画はそうではない。なんだか、任侠もの邦画的に感じるが、海外ではこういったものあるかなとフと思ったりするものの、さすらいのガンマンが町にやってきて、悪人を倒して、その町の娘とずっと仲良く暮らしましたとさ、めでたしめでたし、なんて映画、とくにハードボイルドものでは、あまり聞いたことない。だから、いま思いつかないだけで、たくさんあるに決まっている。そもそも、そうした映画がハリウッドになかったとしたら、ジャンピエールメルヴィルがフランスで誕生することはなかったはずである。





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